ABCD包囲網

出典: Jinkawiki

2009年8月6日 (木) 22:50 の版; 最新版を表示
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ABCD包囲網

1941年に東アジアに権益を持つ国々が日本に対して行った貿易の制限に当時の日本がつけた名称。ABCDとは制限を行っていたアメリカ(America)英国(Britain)オランダ(Dutch)と対戦国であった中華民国(China)の頭文字を並べたものである。ABCD包囲陣、ABCD経済包囲陣、ABCDラインとも言われる。


●内容

中国に対する日本の支配力が増大することを警戒して、アメリカが日本に対する燃料や鉄の輸出を制限した。欠乏する資源確保のため、日本は南アジアに侵攻した。日本の侵攻を停止させるため、アメリカがイギリス、オランダと共に石油の輸出を停止したため、日本は追い込まれた。


●実際には

この包囲網は、「欧米各国の日本に対する経済封鎖」といった認識が広まっているが、包囲網とはあくまで日本側からの呼び名であり、連合国側にはそのような意識は無かったとされ、これらの国が何らかの条約を結んだ記録も公表されていない。例えばオランダは、インドシナ進駐後に行われた日本との交渉でも、日本側の要求を受け入れる用意があり、それとは別に石油購入の契約も成立している。つまり、ABCD包囲網は実態としては存在しないとされている。 また、この言葉自体、マスコミから派生した語呂合わせ的な俗語であり、必ずしも当時置かれた日本の状況を的確に表現しているとは言い切れない。


●流れ

このABCD包囲網により日本には石油や鉄など生活に必要不可欠な物資が入らなくなった。経済的圧迫は地下資源に乏しい日本を追い詰めた。日本国内での貯蓄も平時で半年、戦時で3ヶ月といわれ、早期に開戦しないとこのままでは多くの貧困者が出るとされた。日本政府はABCD包囲網解除をアメリカなど連合国に要請したが、その条件は中国大陸からの日本軍の全面撤退や日独伊三国軍事同盟の破棄、南京政府の否認など日本には到底受け入れされるものではなかった。この事から日本は日米決戦を決意、太平洋戦争(大東亜戦争)が勃発した。


参考文献

第二次世界大戦から米ソ対立へ 発行者 笠木公巌  発行所 中央公論者

世界の歴史28 油イ大三朗/古田元田 著

ABCD包囲網


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