大隈重信2

出典: Jinkawiki

2009年8月7日 (金) 22:00 の版; 最新版を表示
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明治・大正期の政治家。天保(てんぽう)9年2月16日肥前(ひぜん)国佐賀会所小路に、佐賀藩砲術長の父信保(のぶやす)、母三井子(みいこ)の長男として生まれる。幼名八太郎。1864年(元治1)藩当局に経済政策を建言し、藩の代品方として長崎―兵庫間を往来、このころより長崎でオランダ系アメリカ人宣教師フルベッキに英学を学び、翌年長崎に英語学校致遠館(ちえんかん)を設立しその経営にあたった。67年(慶応3)3月、将軍徳川慶喜(よしのぶ)に大政奉還を勧告しようとして副島種臣(そえじまたねおみ)とともに脱藩上洛(じょうらく)したが、捕らえられて佐賀に送還された。 明治政府成立に際し、1868年3月参与兼外国事務局判事に登用され、キリスト教処分問題でイギリス公使パークスと交渉にあたり、ついで外国官副知事に昇進した。69年(明治2)2月三枝綾子(さえぐさあやこ)と結婚。同年3月会計官副知事兼任、7月大蔵大輔(だいぶ)、ついで民部大輔兼任となり、贋貨(がんか)問題、鉄道電信建設、工部省設置などに尽力し、70年9月参議となり、73年10月大蔵卿(きょう)を兼任、80年2月参議専任となった。この間、岩倉具視(ともみ)一行の遣欧中の留守政府内では西郷隆盛(たかもり)らの征韓論に反対の立場をとり、ついで大久保利通(としみち)の下で財政を担当しつつ、秩禄(ちつろく)処分、地租改正を進め、大久保没後は参議筆頭となって殖産興業政策を推進した。いわゆる大隈財政が展開されたのがこの時期で、他面、三菱(みつびし)と親密な関係をも結んだ。81年3月国会開設意見書を提出して政党内閣制を基軸とする即時議会開設を主張するとともに、おりからの北海道開拓使官有物払下げに反対したため、薩長(さっちょう)勢力および宮廷グループに排斥され、10月参議を辞任し、同時に大隈派官僚多数も連袂(れんべい)辞職した(明治十四年の政変)。 政変後、政党結成を実行に移し、1882年4月矢野文雄、小野梓(あずさ)らと立憲改進党を結成してその総理となり、また10月小野や高田早苗(さなえ)らの尽力を得て東京専門学校(1902年早稲田(わせだ)大学と改称)を創立した。84年12月名目上、立憲改進党を脱党。88年2月第一次伊藤博文(ひろぶみ)内閣の外務大臣となり、ついで黒田清隆(きよたか)内閣にも留任して条約改正交渉にあたったが、外人裁判官任用問題で世論の大反対にあい、翌年玄洋社(げんようしゃ)社員来島恒喜(くるしまつねき)に爆弾を投げつけられて負傷し右脚を切断。12月外相を辞任して枢密顧問官となった。議会開設に伴い、91年12月立憲改進党に復党し代議士総会長に就任。96年3月同党を中心に進歩党を結成して党首となり、9月薩派と妥協して第二次松方正義(まつかたまさよし)内閣の外務大臣となった(松隈(しょうわい)内閣)。翌年3月農商務大臣を兼任したが、薩派とあわず11月辞任。98年6月板垣退助(たいすけ)とともに自由党と進歩党を合同して憲政党を結成し、最初の政党内閣第一次大隈内閣(隈板(わいはん)内閣)を組織した。しかし、両派の対立と閣内確執のため、党は自由党系の憲政党と進歩党系の憲政本党に分裂し、内閣は4か月で総辞職した。1900年(明治33)12月憲政本党総理に就任し、政党活動を続行したが、07年1月辞任して、一時政界から引退、4月早稲田大学総長に就任した。第一次憲政擁護運動ののち、ふたたび政界に復帰し、14年(大正3)4月第二次大隈内閣を組織、内務大臣を兼任した。第一次世界大戦に参戦し、15年には対華二十一か条要求を提出、また2個師団増設などの軍備拡張を行った。同年8月内閣を改造して外務大臣を兼任し、16年7月侯爵に叙せられたのちの10月に総辞職した。 大隈は政治家であると同時に広く明治文明の推進者としての功績をもっている。早稲田大学の創設をはじめとして終生教育事業に力を尽くし、また国書刊行会、大日本文明協会の設立、『新日本』『大観』などの雑誌の主宰、『開国五十年史』『開国大勢史』の著述などによって、立憲君主制の国家にふさわしい国民の養成に精励した。一度も洋行せず、弁論家であったが直筆を残さず、また、博覧強記で「大風呂敷(おおぶろしき)」と陰口もされたが、民衆政治家と目されていたことも事実であった。大正11年1月10日胆石症で死去。日比谷(ひびや)公園で国民葬が行われた。墓所は東京都文京区護国寺。


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