青年期

出典: Jinkawiki

2009年8月9日 (日) 13:06 の版; 最新版を表示
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青年期

 青年の青は未熟を意味し、青年期とは成熟に至る前段階ということになる。ただし、日常用語としての青年は、青年紳士といったことばにもみられるように、日本語の場合、30代前半ぐらいまでをいうことも多い。発達心理学上の用語としては、児童期と成人期との中間の時期、男子では14、15歳から24、25歳くらいまで、女子では12、13歳から22、23歳くらいまでを意味していた(過去形にしたのは、後述するように、日本の現状では青年期を区切る境界そのものがしだいに曖昧(あいまい)になりつつあるからである)。  青年期が何によって特徴づけられるかには、二つのとらえ方がある。第一は、性的成熟を中心とした生理的、身体的変化である。この期になると、男女とも性腺(せいせん)、性器(第一次性徴)が発達し、女子は月経、男子は射精をみるに至る。これに伴い、それぞれの性にふさわしい外見的変化もおこる。男子は肩幅が増し、喉頭(こうとう)部が突き出て声変わりし、女子は腰部が太くなり、乳房が膨らみ始める。陰毛や腋毛(えきもう)も生じる。こうした特徴は第二次性徴とよばれる。体位の面でも爆発的成長がおこり、まず身長が急激に伸び、ついで胸囲が広がり体重も急増する。この生理的変化には個人差が大きく、早熟と晩熟の差がとくに青年期の初めに目立つ。中学校低学年では、一方に成長が目覚ましく、すでに青年らしい特徴を備える者があり、他方にまだ児童期を抜け切れない者のいるのが普通である。しかし、こうした一時的優劣は将来の体位を予測するものではなく、ピークに達したときには両者とも等しくなる。早熟な者は、成長の周期を比較的早く、ほぼ16年間の短期間で達成するにすぎない。これに対し、普通は18年間、また晩熟の者では20年間で成長周期を達成する。成長過程で生じる体位差の一部は、このような成長周期の個人差による。  これに関連して、20世紀後半になって先進国の都市化地域では、世代を追うごとに性的成熟に達する年齢がしだいに早期化する「発達加速現象」が目だっている。都市化に伴う心理的刺激の過剰が原因ではないかと推測されているが、青年期現象には、地域差や文化差によっても不ぞろいが生じる。以上のように、青年期の成長過程も、かならずしも年齢や生理学的要因のみによって規定されているわけではない。

 第二の見方は、青年期をむしろ社会的地位や役割によって規定しようとするものである。青年期は、大まかにいって、中学校、高等学校、大学の時期に相当しているが、こうした学齢期が青年期の主要な境界だとするのである。事実、青年期を前期、中期、後期に三分する考え方もあるが、これはちょうど前記の三つの学校段階に対応している。青年期ということばはもちろん古く、ルソーなども早くから注目しているが、とくに関心を集めるようになったのは、20世紀に入ってアメリカ、ドイツなどで諸研究が行われるようになってからである。いわゆる先進国において学生とよばれる新しい年齢集団が大量に生み出されるようになった事情が、このことの背景にある。身体的に成熟すればただちに職業や仕事につくような社会では、とくに青年期に配慮する必要は大きくないから、前述の事情と考えあわせると、青年期が社会的地位の一つという見方にも意味深いもののあることがわかる。日本語でも、「青年」ということばが使われるようになったのは明治期以降であるが、このことも前述の事情を裏づけている。したがって、実際にはどのような規定が正しいかというよりは、生理的変化と社会的地位の変化とが並行して相互に影響しあい、青年期の意義がより注目をひくに至ったといえるだろう。  青年期には、性的成熟が急激な身体的変化を引き起こし、児童期までの比較的安定した人格の体制に大きな動揺を与えるので、さまざまな心理的特徴を生じる。この期の形容として、よく疾風怒濤(どとう)、けいれん生活、「第二反抗期」などといわれるが、前記の基本的動揺をよく示している。青年は、自分でも由来や理由のつかめない不安、いらだち、葛藤(かっとう)、怒りなどを感じ、これをすぐに外的対象に投射し、理由なき反抗に走る。1960年代後半以降、これが大学紛争や中学・高校における校内暴力という集団的な形、家庭内暴力という激越な形で表れ、多くの青年問題を引き起こしている。  社会的には青年はいわゆる境界人であって、成人にも子供にも属さない境界領域の曖昧な存在である。その権利も曖昧で、ときにより大人並みにも子供並みにも扱われる。学校、家庭における青年の処遇はそのためとかく便宜的になりやすく、これが青年の不安定や反抗に拍車をかけるもとになっている。エリクソンは、そこで、青年期に克服されるべき課題として「自我同一性(アイデンティティ)の確立」をあげた。青年はそれまで一方的、無自覚的に押し付けられた特徴を一種の素材として、個性、統一性、連続性、目的意識をもった人格を自覚的に再構成する必要がある。それゆえ、この期は「第二の誕生」期ともよばれる。しかしこの課題は、青年の生きる時代や環境によって容易に達成されないことがあり、エリクソンのいう「自我同一性の拡散」が生じる。神経症その他の病的徴候、風俗上の前衛運動、政治的反抗などの無秩序は、その一つの表れであるといわれる。拡散のため自我同一性の確立が遅れれば、この期をモラトリアムmoratoriumとよぶ。自我同一性の確立は人格的な意味での真の青年期の終わりを告げるものであるから、モラトリアムを経ての自我同一性の確立までを「引き延ばされた青年期」とよぶ。

 以上は、およそ1970年代までの青年心理学や青年期研究の定説であった。しかし、その後の社会情勢の変化は、青年心理学だけではなく、それを含む発達心理学全般に大きな影響をよび寄せた。情報通信産業の興隆、IT革命の進展は、産業構造そのものに大きな変革をもたらし、かつてみられない急速な技術革新を生んだ。当然ながら、人は、それまでの時代のように、青年期までに習得した知識や技能によって一生安定した職業生活を送ることは、かならずしも期待できなくなった。こうして、ユネスコにより生涯教育が提唱され、やがて生涯学習―生涯発達へと焦点が移行していった。このことは、社会的自立への準備期と位置づけられていた青年期の意義、ひいてはその境界を曖昧なものにしてしまう。エリクソンの時代には、青年期は、自我同一性を確立するための一種の臨界期的役割を負わされていたが、現代は、ある意味で、生涯にわたり絶えざるアイデンティティの再構成を求められている時代ともいえよう。生涯発達心理学のなかでは、かつては一つの安定期としてさしたる関心の対象にならなかった壮年期の意味の見直しが行われているのはその証左ともいえる。

 さらに、現代の日本では、先行き不安や経済的変動が晩婚化に拍車をかけ、また高年世代がより大きな資産をもつなどの社会・経済的条件により、就職してもなお半永続的に親の家に同居するパラサイトシングル現象、未就職または早く退職して家庭に閉居する引きこもり現象なども目だっている。これらは、自立の準備期としての青年期の延長であり、形を変えたモラトリアムとみられないでもない。一方、IT革命の時代には、若年で起業家として成功する例も珍しくない。以上を総合して、青年期についての既成概念は再検討の時期にきているといえよう。


参考文献

・エリクソン著、小此木啓吾訳『自我同一性』(1973・誠信書房)

・エリクソン編、栗原彬監訳『自我の冒険』(1973・金沢文庫)

・桂広介著『青年期――意識と行動』(1977・金子書房)


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