アウシュビッツ強制収容所

出典: Jinkawiki

アウシュビッツ強制収容所とは、第二次世界大戦中に、ドイツ軍が政治犯や犯罪者、そしてユダヤ人を収容するために作った施設である。主な役割は、労働力にならない(女性や子供など)を「処分」する役割を持っていた。

収容所内での生活

食事は1日3回あったが、朝、昼は汁物、夜はパンのみで、カロリー的にみるとそこまで悪くないが、日々の重労働からすると、まったくと言っていいほど足りていなかった。さらに、栄養価はほとんどないため、囚人達は次々と栄養失調になっていた。その中で、囚人同士の食料の奪い合いも多発した。トイレなどは、水洗のトイレもあったが、中には木に穴をあけただけという簡素なトイレもあった。当然衛生面は良くなかった。医療面では、医師などはいたものの、チフスなどに感染症にかかるものが多く、ほとんど治療ができないまま亡くなるものが多かった。

ユダヤ人に対する様々な残虐行為

ユダヤ人がまず収容所に運ばれてくると、「選別」をされる。これは、労働力になるかどうかの選別で、ここで、労働力にならないと判断されると、そのまま「ガス室」と呼ばれる、いわば処刑室へ送られた。幼い子供は形式的なものもなく、そのままガス室へ送られた。このガス室で使われたガスは「チクロンB」と呼ばれるガスで、ノミやシラミの退治にも使われ、殺虫剤として使われるものであった。これにより、「32分で800人の処刑が可能だった」とされる。また、人体実験も盛んに行われ、飢餓実験や薬品実験など、被験者が死亡または重度の身体障害を患うことがほとんどであった。これだけではなく、日常的に銃殺や虐殺などがたびたびおこなわれていた。

解放と犠牲者

このような状況が打開されてきたのは、1945年になってからである。ソ連軍が接近してきて、退却を余儀なくされたドイツ軍は、強制収容所の囚人を連れてドイツ国内へと退却を始めた。しかし、すべての囚人がドイツへ行ったわけでなく。ソ連がアウシュビッツについたとき、7500名ほどの囚人がいたとされる。この囚人たちがなぜアウシュビッツに残れたのかは不明だが、一部では、「残るかドイツ軍と一緒に行くか選べた」という話もある。この他のドイツ軍と一緒に行った者の解放はさらに後になった。犠牲者の数は現在でもはっきり分かっていない。戦後は500万人とも言われていたが、現在では15万人ほどともいわれている。


参考URLhttp://www1.linkclub.or.jp/~ttakeshi/porhtml/pora01.html


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