イエス・キリスト

出典: Jinkawiki

パレスチナの、ガリラヤ地方ナザレで、大工ヨゼフの許嫁マリアが聖霊によって身ごもり、厩の中で生んだ。30歳の頃ヨハネに洗礼を受けた後、自らを神の子であると自覚し、「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」と宣教を始めた。当時、形式的な律法主義に陥っていたユダヤ教に対し、律法の精神を真に自分のものとする、内面的な成就を説いた。イエス・キリストは神の愛(アガペー)は全ての人間に分け隔てなく注がれるとし、「心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ」、「自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ」との二つの戒めを、律法の根本精神とした。このような、イエス・キリストの教えは、ユダヤ教の律法主義では救われることができなかった人々に受け入れられた。しかし、ローマ皇帝の反逆とユダヤ教の教えに反したことで訴えられ、十字架にかけられ刑死した。やがて、弟子達の間に、死後3日目に復活し、十字架上の死は、人間の罪をあがなうものであったという信仰が生まれた。こうして、イエスをキリスト(救世主)とするキリスト教信仰が成立した。なお、イエスの言行は弟子達による、新約聖書にしるされている。

参考文献

用語集倫理 清水書院

参考URL http://www.ijournal.org/IsraelTimes/history2/christbirth.htm

イエスの弟子たち


イエス自身の宣教活動は長くみつもって3年ほどであり、初期の伝道が行われたガリラヤとイエスが最後を迎えるエルサレムの二カ所を中心に展開された。初期のガリラヤ伝道は成功をおさめ、その間にイエスの運動に加わった弟子たちの中から、後のキリスト教の指導者が出てくる。イエスは、後々の宣教活動のため、特に12人の弟子たちを選抜している。この弟子たちが、イエスを中心として広がる弟子集団の、もっとも中心に近い人々であり、のちに十二使徒とよばれるようになる。


イエスによって選ばれたのは、ペトロ(シモン)、アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとヨハネ、フィリポ、バルトロマイ、トマス、マタイ、アルファイの子のヤコブ、タダイ(ヤコブの子ユダ)、熱心党のシモン、イスカリオテのユダの12人であった。この「神の国」の運動を担う弟子には、4人の漁師や、当時人々からさげすまれていた徴税人も含まれている。

参考文献 「図解雑学 キリスト教」  HN;greentea


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