キトラ古墳

出典: Jinkawiki

キトラ古墳は、奈良県高市郡明日香村字安部山、高松塚古墳の南約1.2kmの場所にある。丘陵の南斜面を削平した平坦面上に、一層が2~3cmという非常に緻密な版築で築かれた、二段築成の墳丘をもつ円墳で、下段の径は13.8m、上段径は9.4m、 高さは3.3mを計る。墳丘内部の凝灰岩切石を組み合わせた石槨は、幅約1m 長約2.6m 高さ約1.3mの大きさで、天井部には約17cmのくり込みがある。四神を描いた壁画があるなどの類似点から、高松塚古墳の「兄弟」といわれることがある。名称の「キトラ」は、「北浦」の転訛といわれる。

壁画などにみられる唐の文化的影響が高松塚古墳ほどには色濃くないことから、遣唐使が日本に帰国(704年)する以前の7世紀末から8世紀初め頃に作られた古墳であると見られている。

東西南北の四壁の中央に四神の青龍、白虎、朱雀、玄武が描かれている。その下に、それぞれ3体ずつ十二支の人身獣首像が描かれていると想定されているが、北壁・玄武の「子」、東壁・青龍の「寅」、西壁・白虎の「戌」、南壁・朱雀の「午」など6体の発見に留まっている。 同時代の中国や朝鮮半島では人身獣首を象った浮き彫りや土人形が埋葬された墓が発見されているため、キトラ古墳は中国や朝鮮半島などの文化的影響を受けていたと考えられている。しかし、2005年になって発見された「午」の衣装は、同じ南壁に描かれている朱雀と同じ朱色であった。このことは、十二支像がそれぞれの属する方角によって四神と同様に塗り分けられていることを推測させる。これは中国・朝鮮の例には見られない特色である。 また、天井には内規、外規、赤道、黄道を描き、金箔を朱線で結ぶ星座を配置した、本格的な天文図が見られる。外規の東西には日輪、月輪が外接している。 天文図は東アジア最古の現存例であり、青龍・白虎・玄武・朱雀の四神すべてが現存している例は国内初。

誰が埋葬されているかは未だ判然としていない。

2000年7月31日に史跡指定され、同年11月24日には特別史跡指定をされた。

参考:http://www.bunka.go.jp/takamatsu_kitora/kitora_gaiyo.html

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%88%E3%83%A9%E5%8F%A4%E5%A2%B3

http://www.asukanet.gr.jp/kitora/index.html


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