スリーマイル島原発事故2
出典: Jinkawiki
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概要
1979年3月28日午前4時(現地時間)、米国ペンシルバニア州に設置されているスリー・マイル・アイランド原子力発電所2号炉(Three Mile Island:TMI-2)において事故が発生した。初臨界に達してから1年、営業運転を開始してから3カ月後のことである。この間に、TMI-2号炉には数多くのトラブルが発生しており、それらを完全に解決しないまま運転を継続していた。今回の事故に直接関連するものとして、加圧器逃し弁、又は安全弁から毎時約1.4立方メートルもの1次冷却材の漏洩があり、そのまま長期間運転を続けていたこと、主給水喪失時に、直ちに蒸気発生器に給水するための補助給水系の弁が2個とも閉じた状態で運転が行われていたこと等、種々の故障、誤操作が重なって、放射性物質が外部環境に異常に放出されるという事故であった。
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事故後の措置
周辺の放射線測定結果が誤って伝えられ、さらに、1次冷却系内の水素が爆発するかもしれないという根拠のない情報が伝わって、3月30日、周辺約8㎞以内の幼児と妊婦の退避が勧告された。事故による周辺公衆の被ばく線量は最大でも1mSv(100mrem)以下で、健康に与えた影響はほとんど無視できる程度であった。 米国原子力発電所事故特別調査委員会等による事故の原因分析等から、数々の教訓、対策が得られ、防災体制の強化を含め軽水炉システムのより一層の安全に著しく寄与した。 スリー・マイル・アイランド事故からわが国が得た教訓と課題は原子力安全委員会が摘出した基準・審査、設計、運転管理、防災、安全研究に関する52項目がある。スリー・マイル・アイランド事故の意義の重大さに鑑み、その教訓は最大限反映されるべきであるとの観点から、当時必要と判断した事項はすべて摘出されたものである。これらは商用原子力発電所を初めとして常陽、ふげん、当時設計中のもんじゅにも反映された。また米国エネルギー省(DOE)と日本の原子力産業界は1984年4月に原子炉解体等の5年間の共同研究協定を結んだ。これは、放射性物質で汚染された炉の浄化活動に関連した研究開発で、低レベル廃液の大幅減容処理技術、ロボットの開発、また、炉心損傷事故シナリオの確認等の成果が得られた。(注:東北地方太平洋沖地震(2011年3月11日)に伴う福島第一原発事故を契機に原子力安全規制の体制が抜本的に改革され、原子力安全委員会は原子力安全・保安院とともに2012年9月18日に廃止され、原子力安全規制に係る行政を一元的に担う新たな組織として原子力規制委員会が2012年9月19日に発足した。スリー・マイル・アイランド事故から得られた教訓と課題から摘出された基準・審査、設計、運転管理、防災、安全研究に関する52項目は新たな組織により見直しや追加の行われる可能性がある。)
H.N w