タイタニック

出典: Jinkawiki

一世を風靡した映画「タイタニック」豪華な客船が一夜にして悲劇の舞台となったことに当時すごく衝撃をうけたのを覚えている。そのタイタニックが実話だったことに実は後に知った。それを聞いてからまた違った観点からタイタニックの映画を見た。そんな小学生ながらも興味を持ったタイタニック号についてみていこうと思った。

目次

(概要)

歴史的な大海難を起こした豪華客船。イギリスのホワイト・スターライン社の4万総トン級の第2船として1912年に建造された。4万6329総トン、全長269.1メートル、幅28.2メートル、速力22ノット。画期的な二重底と防水区画を採用した「不沈船」として、また大きさと豪華さで、大西洋航路の女王を目ざしていた。12年4月10日、サウサンプトンからニューヨークに向け、2224人の乗客・乗員を乗せて処女航海に出航。5日目の4月14日夜11時40分、ニューファンドランドのグランド・バンクス南方150キロメートル沖合いを22ノット(時速約40.7キロ)で航行中に氷山に接触し、水面下に長さ90メートルにわたって裂け目を生じ、16の防水区画のうち前部の5区画に浸水して15日午前2時20分沈没した。救命艇の収容人員は総計1178人分しかなく、1513人の犠牲者を出し世界最大の海難とされている。またこのとき、国際的に決められた救難信号「SOS」が最初に発信されている。この惨事の結果、翌13年に、海上の人命安全に関する国際会議がロンドンで開かれ、現在の船の安全施設充実の発端となった。

(影響)

タイタニック号が与えた影響というものを考えたことがなかったが意外に多くの影響が及んだことが明らかになっている。最新の科学技術の粋を集めた新鋭船の大事故は、文明の進歩に楽観的な希望をもっていた当時の欧米社会に大きな衝撃を与えた。事故の犠牲者数は様々の説があるが、イギリス商務省の調査によると、この事故での犠牲者数は1,513人にも達し、当時世界最悪の海難事故といわれた。この事故をきっかけに船舶・航海の安全性確保について、条約の形で国際的に取り決めようという動きが起こり、1914年1月「海上における人命の安全のための国際会議」が行われ、欧米13カ国が参加、「1914年の海上における人命の安全のための国際条約」(The International Convention for the Safety of Life at Sea,1914)として採択された。また、アメリカでは船舶への無線装置配備の義務付けが強化され、無線通信が普及するきっかけになったとされる。

(日本人乗客者)

現在どこか異国の地で事件が起こるとテレビやニュースでは必ずと言っていいほどまず、日本人の安否を伝える。それではこのタイタニック号には日本人乗客者はいなかったのでしょうか。今回私自身も初めて知ったが日本人乗客者が唯一1人だけいたそうだ。タイタニックには唯一の日本人乗客として、ロシア研修から帰国途上の鉄道院副参事であった細野正文が乗船していた。鉄道院副参事はおおむね現在の国土交通省大臣官房技術参事官に当たる役職。細野は音楽家・細野晴臣の祖父である。

<タイタニック沈没の背景>

タイタニック号は、処女航海で大西洋横断の最短距離を目指していたため、氷山の警告を受けても加速出来ないプレッシャーがあったそうだ。また船体が多数区角構造であったため、不沈の船とも言われており、この船が沈没するとはだれも想像できなかった。この時代は、天気予報やレーダーのない時代でさらに夜間に高速航海しており、事故の予見は困難だったと思われる。ただし救命ボートを十分に積み込むなどの安全対策をしていれば、犠牲者は大幅にへっていたと思われている。 完璧だと思っていても常に最悪の状況を想定していなければ臨機応変に対応できないとゆう生活の教訓にもつながるだろう。

(参考文献)

リアルタイタニックhttp://homepage1.nifty.com/Titanic/real/ 高島 健著 タイタニックがわかる本  クライブ・カっスラー著 タイタニックを引き上げろ 新潮文庫


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