デカルト
出典: Jinkawiki
ルネ・デカルト(1596‐1650)はホイスヘンやニュートンに影響を与えた近代科学者である。デカルトは、1596年、フランスの新興階級(官僚貴族)の家に生まれ、10歳のときから10年間ほど、フランスのイエズス会が経営する学院(ラ・フレーシュ学院)で、当時としては最高の教育を受け、ポアチエ大学に進学し、法律と医学を学んだ。卒業後は、この当時の貴族の子弟の習慣に 倣 ( なら ) い、軍隊、しかもオランダの軍隊に入隊した。デカルトが、このオランダの軍隊に志願したのは、オランダ軍が早くから数学や物理学の諸成果を、築城や兵器の製造といった軍事科学に応用しようと、多くの学者を集めていたからである。 デカルトの思想には、渦動説といった現在では受け入れられない説もある一方で、すでに慣性、運動量の保存、運動の直進性などが含まれており、さらに個々の自然現象をできるだけ少ない法則で表わし、そこから様々な現象を説明しようと試みている。それまでの神学的自然観に全面的に対抗しうる包括的機械的自然学の体系を提示したところが、デカルトの特徴であり、評価すべきところである。しかし、彼は自然を数学で記述することには前向きであったが、実際には哲学的な記述にとどまり、数学者・科学者としてよりは、むしろ哲学者として有名である。ニュートンの運動の三法則はデカルトの思想を元に築かれたと言っても良い。 デカルトは、機械的に世界を論じ、現象を分析し、具体的な説明として宇宙のしくみについて渦動説を提起している。彼の著書『哲学原理』(1644年)では、デカルトの想像した宇宙での運動は、渦動説を用いて説明されている。この渦動説によると、宇宙空間に満ちている微小な物質粒子は互いに接しながら渦動運動をしている。太陽の周りを惑星が回転しているのも、地球上の物体が地上に落下するのも、この渦動による影響であると主張している。例えば、惑星は宇宙空間を満たしているエーテルの渦巻きによって、水上に浮かぶ木片のように太陽を動かされている。よって、惑星は、太陽のまわりをすべて同じ方向に、ほぼ同一平面内で回り続ける。この渦動説は実際には間違っていたが、自然一般について、統一的な機械的説明を与えていた点で画期的であったといえる。彼は数学的手段を重要視した。すべての運動は物理的接触によって起こるという近接作用の概念を取り入れた。 著書に1618年『音楽提要』(公刊はデカルトの死後の1650年)、1628年『精神指導の規則』(未完の作品。公刊はデカルトの死後の1651年)、1633年『世界論』(ガリレオと同じく地動説を事実上認める内容を含んでいたため、実際には公刊取り止めとなる。デカルトの死後(1664年)公刊される)、 1637年『みずからの理性を正しく導き、もろもろの学問において真理を探究するための方法についての序説およびこの方法の試論(屈折光学・気象学・幾何学)』(試論(屈折光学・気象学・幾何学)を除いて序説単体で読まれるときは、『方法序説』Discours de la méthode と略す)、1641年『省察』、1644『哲学の原理』、1648年『人間論』(公刊はデカルトの死後の1664年)、1649年『情念論』がある。
(投稿者ユウ)