ファティマ第三の秘密
出典: Jinkawiki
ファティマ第三の秘密とは、1917年5月13日に、ポルトガルの田舎町ファティマにすむ3人の子供たちの前に現れた「聖母マリア」が、そのうちの1人「ルチア・ド・サントス」に託したメッセージのこと。ファティマ第三の預言とも呼ばれる。
1916年春ごろ、ファティマに住む3人の子供たちの前に「平和の天使」と名乗る14~15歳位の若者が現れ、祈りのことばと額が地につくように身をかがめる祈り方を教えた。その後も天使の訪問は続いた。1917年5月13日、子供たちの前に謎の婦人が現れ、毎月13日に同じ場所へ会いに来るように命じた。子供たちは様々な妨害にあいながらも「聖母マリア」と名乗る婦人に会い続け、「人類の未来にかかわる3つのメッセージ」を託された。第一と第二のメッセージ(預言)は、25年後の1942年にバチカンから発表された。第一次世界大戦の終結と第二次世界大戦の勃発に関するもので、いずれも細部にいたることまであまりにもピタリと的中していた。しかし、第三の預言だけは1960年までは公表してはいけないと言われていた。だが、預言は1960年になっても公表されなかった。 第三の預言を読んだ法王パウロ六世が、内容の重大さにショックを受けて卒倒し、「これは人の目に絶対に触れさせてはならない。私が墓の中まで持っていく」といって、発表を差し止めてしまったからである。
1981年5月2日には、アイルランド航空164便がハイジャックされ、犯人はカトリック修道士で、要求は「ファティマ第三の秘密を公開せよ」であった。ローマ法王庁では緊急会議が開かれ、犯人の要求に対してどうするか話し合われたが、結局公開はしなかった。幸いなことにハイジャックは、スチュワーデスをはじめ乗員の勇気ある行動によって、1人の死傷者もなく無事に解決された。
こうした経緯の後で、2000年5月、教皇庁は、1960年以来、40年間発表を先送りにしてきたファティマの第三の預言を正式に発表した。教皇ヨハネ・パウロ2世は、2005年2月23日に著作『記憶とアイデンティティー』においてファティマのメッセージの全容に関する解釈を開示し、その内容を1981年5月13日の教皇暗殺未遂事件であったと規定し、背後に20世紀に生まれた暴力的なイデオロギーに属するしっかりした組織があったと述べ、更に2005年4月に発表された遺言において核戦争なしに冷戦が終結したことを神の摂理として感謝している。
しかし、発表された第三の預言は、前の二つの預言と比べると矮小が過ぎること、40年に渡って隠匿され、60年代には当時の教皇が絶句したり発表を見送ったりする内容とはとても思えないこと、公開された「第三の預言」は一群の兵士達によって、白衣の司教ら大勢の高位聖職者達が射殺される、とあり、1981年の事件とはあまりに食い違うことから、多くの人々が疑問を投げかけている。
また、「第三の預言」の内容を知っているルシアが、「それはほんの一部で、バチカンは嘘をついている」と司法省に提訴したことでも、発表された第三の預言の虚偽は明らかである。しかし、内容を知るルシアは2005年に97歳で死去した。
ファティマ第三の預言の内容はいまだ謎に包まれている。
参考文献
『UFOはこうして飛んでいる!』 コンノケンイチ・著 徳間書店 1990年刊