フレネ教育 14
出典: Jinkawiki
フレネ教育とは、セレスタン・フレネ(1896~1966)が1920年代に始めた、「子どもの生活、興味、自由な表現」から出発し、印刷機や様々な道具、手仕事を導入して芸術的表現、知的学習、個別教育、協同学習、協同的人格の育成を図る教育法である。
セレスタン・フレネについて
フレネは戦前・戦後を通じ一貫して、生活と教育を結びつけることを追求し、そのための多くの学校技術を開発した。その技術の基礎となったのは、わが国の生活綴り方教育運動にも似た、学校印刷所運動である。
1920年、彼は南フランスの山の中の小さな学校に赴任。しかしそこで彼を待っていたのは、子どもの世界とかけ離れた教科書とその説明に終始する教師、その反復練習のためにすっかり学習意欲を無くした子ども達であった。
彼はやる気をなくした子ども達のために、午後の時間を使って散歩教室を始め、村の小川や野原を歩いたり、畑や職人達の仕事場を見てまわったりし、彼らは好奇心と活力にあふれた表情をみせ、教師と親しげに語り合うようになった。
フレネは、散歩教室で発揮される子どもの活力を、どうしたら学習の中に持ち込むことができるかを考え、彼は教室に印刷機を備えつけ、子ども達が綴った文を印刷しそれを教科書にかえて「自由な教科書」として使うことを試みた。
やがて彼は、理性的共同体における人格の自己形成を目的とした教育学を、学習材と教育技術の土台の上に建設することを主張。生活を観察し、表現し批評し合うなかで生まれる興味の複合の探究のための学習文庫や協同学習カード、計算や読み書きのためのカードを協同組合方式によって開発した。これらの学習材と学校文集や学校間通信などの教育技術の裏付けをともなって教科書による一斉授業の廃止を提唱し、仕事を基礎とした個性化と協同化の2大原理による実践を組織した。
教育方針
子ども主体
子どもの真の興味や関心に従って学びを進めること、そのために子どもの生活に寄り添った具体的な経験を通して学びを見出すようにすること。
異年齢集団で学ぶ
ヨーロッパのフレネ学校では、子どもたちは年齢関係なく共に学び、下の学年の子どもは上級生の「技術」を得られ、上の学年の子どもは「助け合い」や「主導権の取り方」を身に付けることができる。
自由作文の狙い
フレネ学校の子どもたちは、日常的に作文を書き、それを発表・討論したのち、印刷をしてみんなに配る。 子どもにとって重要な関心ごとを伝えようとする時に得られる「表現力」を養う。
個人を大切にした学習計画や教材の数々
子ども一人ひとりが学びの中心者だと考えるフレネ教育では、個別の学習活動を大切にしており、特に読み書きは、個別の学習計画を立て、それに沿って学習を進めていく。 それぞれが学習を進めていくためには、一人でも理解できるような工夫された教材(おはじき、時計の模型、図形を理解するためのパズル、分数を理解するためのケーキの写真など)が教室に備えられている。 子どもたちは、それらを必要に応じて取り出して使う。
話し合い活動の充実
一人ひとりが学びの主体者なので、学校は子どもたちの力で運営する。 フレネ学校では、年齢は関係なく、小さい人でも大きい人に混じって、学校を自分ごととして捉えおり、全校集会を頻繁に開き、自分たちの学校のルールや改善点を話し合う。
参考url
子どもが主体の教育メソッド「フレネ教育」の特徴って? 日本の多様な教育―フレネ教育
投稿者sy128