ライデンの戦い
出典: Jinkawiki
1574年、八十年戦争(オランダ独立戦争)で、最大の攻防戦といわれる。ライデン市はスペイン軍に包囲され、飢餓と伝染病に苦しみながらも、オラニエ公の奇策によりスペイン軍に勝利した。
1573年、オラニエ公側(独立軍)の多くの町が敗退もしくは降伏していた。ライデンが陥落すると、アムステルダム以南はデルフトとロッテルダムが残るのみとなり、ライデンの戦いはまさに存亡の分岐点であった。 1574年スペイン軍はアムステルダムから進軍、ライデン市を包囲し、封鎖した。オラニエ公はライデンの南方の堤防を破壊して、海水を引き込んでスペイン軍を分断し、その隙に食料や物資を運び市民を救出するという作戦を提案する。しかし、海水が引き込まれた農地はだめになってしまう。それでも農民は、「自分たちの土地をスペインに奪われるくらいなら使えなくしてしまったほうがいい。」と作戦に賛成、オラニエ公は沼地を農地に戻すための長期償還債権発行を提案し、作戦を実行した。 しかし、海水が浸水するまでには時間がかかり、(オランダの堤防は決壊しても被害が最小限になるように設計されているため)ライデン市民は餓死寸前だった。また、ペストが流行し、市民の3分の1の人口にあたる、184人が死亡した。 そこに、[神風]ともなる西風が10月2日から3日にかけて吹き、北海の荒波が一気にライデンに押し寄せた。浸水は急激に進み、スペイン軍はパニックに陥り撤退した。 このときライデン市民に届けられた食料の中にニシン漬けがあり、10月3日のライデン開放記念日には生ニシンとパン、ジュネバー(オランダのジン)で祝う。また、このときのライデン市民の勇気と辛苦を讃え、オラニエ公からオランダ最初の大学「ライデン大学」が贈られた。
参考文献
オランダを知るための60章 長坂寿久 明石書房
地域からの世界史 西ヨーロッパ 佐藤彰一、松村赳 朝日新聞
世界の歴史 東アジアと中世ヨーロッパ JMロバーツ著/月森佐知、高橋宏訳 創元社