中東戦争3

出典: Jinkawiki

中東戦争

 パレスチナに「ユダヤ人国家」イスラエルが建国された結果、住民であったパレスチナのアラブ住人は追放され難民となった。そのアラブ人諸国(エジプト・シリア・ヨルダン)が失地回復のため行ったのが中東戦争である。  第一次世界大戦に際してオスマン帝国に対抗する関係からアラブ人の支援を受けるためイギリスはアラブ人にパレスチナにアラブ人国家の樹立を約束する。しかし、第一次大戦後イギリスの委任統治領となったパレスチナで19世紀後半にシオニズム運動(パレスチナ地方に「ユダヤ人国家」建設を目指す運動。東欧のユダヤ人たちの間から起こった。)が始まり、イギリスは「ユダヤ人国家」の設立も認める。これが戦後の混乱の基本的な原因となる。結果、時期や形態は異なるが、アラブ諸国とイスラエルは4回に渡る大規模な武力衝突を起こしている。

目次

<第一次中東戦争>

 国連が調整を行い、パレスチナ分割案を提示するがアラブ側が拒否。1948年、イギリスのパレスチナ委任統治が終了しイスラエルが独立を宣言、戦争となる。戦争は「アラブ諸国対イスラエル」の図式で展開した。イスラエル側圧倒的優位のうちに戦局は進んだ。1949年イスラエルと各アラブ参戦国ごととの休戦協定で、パレスチナはイスラエル・エジプト・ヨルダン間に分割され、イスラエルは国連分割決議を大幅に上回るパレスチナ領を獲得した。

<第二次中東戦争>

 エジプトの指導者、ナセル大統領がスエズ運河の領有を宣言。これに対し、運河に利権を持つ英仏がイスラエルを扇動、両者の利害が一致しエジプトに侵攻した。結果、エジプト軍はスエズ以東のシナイ半島が占領される。しかし、国際社会が英仏イを非難。これを受けて三国が撤退し、戦争は終結した。

<第三次中東戦争>

 アラブ諸国の侵攻計画を事前に察知したイスラエルが先制奇襲し、開戦。アラブ諸国は、シナイ半島全域・東エルサレム・ゴラン高原を奪われ、停戦。

<第四次中東戦争>

 エジプトの奇襲攻撃で開戦。一時エジプトの有利に戦局は進むが、イスラエルに反撃され停戦。

 参考資料URL
 http://www.weblio.jp/content/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%AD%E6%9D%B1%E6%88%A6%E4%BA%89
 http://100.yahoo.co.jp/detail/%E4%B8%AD%E6%9D%B1%E6%88%A6%E4%BA%89/


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