今川義元

出典: Jinkawiki

今川義元[1519(永正16)~1560(永禄3)] 享年42

・東海一の弓取り

   今川義元は駿河、遠江、三河の三国を領有して、一時は日本最強の大名とされ、天下をうかがえる位置にもあった。今川氏はもともと駿河守護の家柄で、足利将軍家の分家にあたる。もし将軍家に世継ぎのない時には、三河の吉良家とともに将軍職につくことになっていた徳川幕府の「御三家」に相当する名家。それだけに義元のプライドは高かった。自らを「余は駿河の公方(将軍)である」と言って周辺の諸侯を見下していた。また、そのファッションセンスも、田舎者の東海や関東の武士とは一線を画して洗練されたものだった。後世に彼のトレードマークとして知られるようになった公家風に眉を剃ってお歯黒を塗った顔も、当時の京風が尊ばれる風潮では、意外と政治的効果があった。義元は肥満のうえ、胴長短足で、そのため馬に乗ることができずに、いつも輿を使用したという。この身体能力の低さと、公家風の出で立ちが、後世にひ弱だった印象を与えているのであろう。しかし、義元からすれば馬に乗れないなど、たいした問題ではない。むしろ、輿のほうが自分や今川家の価値を高めるということを知っていて、配下の将兵や周辺大名に畏敬の念を抱かせることを狙って、演出したのかもしれない。

・義元の本当の素顔とは

   義元の武将としての評価は高くない。京文化にあこがれる「お歯黒大名」で、旧体制を墨守する無能な武将というイメージがある。しかし義元をただの苦労知らずの名家の御曹司と考えてはいけない。彼は今川氏親の五男として生まれ、普通なら家督を継ぐべき立場ではなかった。実際、長男の氏輝が当主となり、家督争いを避けるためもあったのだろう、義元は出家して僧になっている。一度は世を捨てたのだ。ところがその氏輝が急死して、跡目争いが起きると、彼の行動は素早かった。すぐに還俗してこれに参加。養育係だった太原雪斎を軍師として、骨肉の争いに勝利した。今川家の家督を継ぐまでには、それなりに辛酸を舐めて苦労もしているのだ。また、義元は、戦国大名としてはかなり早い時期から検地を実施し、農村を直接把握しようという先進性をもっていた。全国に先駆けて「印判上」という書状を発行して行政の効率化を進めたのも今川氏だ。これらは義元の父氏親が創始したものだが、義元はこれを更に推進した。とくに検地を徹底させ、農村支配を大名による一円支配へと変革させた。1553年(天文22)には、分国法である「今川仮名目録追加」を公布し、その条文で「自分の力量を以て国の法度を申し付く」と宣言している。この一文にこそ戦国大名としての義元の矜持がうかがわれる。

・上洛の夢、桶狭間でついえる

    義元が家督を継いだと頃、今川氏の近隣諸国では新興勢力の動きが活発化してきていた。東には勢いに乗る北条氏がおり、北の武田氏は信虎が国内を統一して虎視眈々。西では尾張の織田信秀が三河を狙っていた。こうした状況の中、義元は信虎に代わって武田の当主となった信玄と同盟を結ぶ。次いで三河に侵攻した織田を撃破し三河を支配下に置いた。信秀が死ぬと、尾張にも勢力を広げ、今川氏の全盛を築く。その後、武田、北条と三国同盟を結んだ。後顧の憂いを断った義元は、ついに上洛を目指す。そのためには尾張の織田が邪魔であった。尾張では信秀の没後、家督争いを制した信長が国内を統一していた。義元は尾張・三河国境で織田の武将の寝返りを工作し、大高城、鳴海城などを手に入れた。こうして1560年(永禄3)、義元は4万といわれる大軍を率いて駿府を出発、尾張・三河国境に進出した。しかし、桶狭間で休息していたところを、義元の軍勢のわずか10分の1程度という信長勢が急襲。義元は槍で刺されながらも相手の膝を太刀で断ち割るなど奮戦するが、あえなく討ち取られた。

・今川氏の氏寺

   16世紀前半に創建された名刹・臨済寺は、人質時代の徳川家康が預けられた寺である。もとは善徳寺といった。住持の太原雪斎は、義元を支え、施政・外交にたずさわるだけでなく、戦場にも足を運んで義元を補佐した。日本の戦国時代に「軍師」といえる存在を探すとしたら、まさにこの人物であろう。

-心をば紅葉に染めて 榊葉の 常盤の色を契りともかな- (今川義元) 『和歌』

参考文献・出典

歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 (学研)

日本史1000人上 (世界文化社)

戦国武将最強は誰だ? (一水社)


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