北方領土問題3

出典: Jinkawiki

 北海道の根室沖からオホーツク海と太平洋の間に連なる歯舞、色丹、国後、択捉のいわゆる四島についての日本とロシアの領有権をめぐる問題である。面積はおよそ五千平方キロメートル。1945年の日本敗戦時にソ連がこれらを占領し、それまで島に住んでいた一万七千人の日本人を強制退去させたことが事の発端である。現在、約一万五千人のロシア人がここに住んでいる。日本政府はこれをロシアの不法占拠と捉え、島の返還を要求し続けているが、ロシアは四島を自国領とみなし、これを拒否して今日に至っている。この問題は、日本とソ連の敗戦処理をめぐる一連の交渉プロセスのなかで発生した問題に他ならない。日ソ交渉の主眼は、両国の戦争状態を終わらせ、日本が国際社会に復帰するための講和に置かれていた。日本のかたちをどこまでにするのかが論点にされていた。サンフランシスコ平和条約はこれを明確にしている。ポツダム宣言において、日本の主権が、本州、北海道、九州、四国およびその周辺の小島とされた。サンフランシスコ平和条約は、ソ連と中国が調印せず、片面講和となった。1956年10月、共同宣言を発表する方式で日ソは国交回復を成し遂げた。平和条約でなく、共同宣言というやり方で国交回復がなされたのは、日本の国のかたちをどう定めるか、いわば日本とソ連の国境線をどこで引くのか、という論点で双方が折り合うことができなかったからだ。ソ連は平和条約の締結を条件に歯舞、色丹の二島を引き渡すことを宣言、一方、日本はそれに加えて、国後、択捉についての継続協議を要求。二島引き渡しによる最終決着と四島返還、日本とロシアの要求は真っ向から対立し、歩み寄りの気配はなかった。2014年10月14日、中国とロシアの間で国境に残されていた地をめぐる妥協が成立した。政治的妥協によって領土問題を最終的に解決しうるという先例が生まれた。これによって日本とロシアもどの案で解決を図るのか、非常に難しい問題となっている。

参考文献 『北方領土問題 4でも0でも、2でもなく』 岩下明裕 中公新書 2005


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