宇宙開発競争(冷戦期)

出典: Jinkawiki

概要


核兵器の登場により、アメリカとソ連を中心とした”核抑止”の対立構造が続いたのが冷たい戦争、冷戦期である。しかし、「核兵器」での対立は長い冷戦期の出来事の代表例の一つであり、その他にも様々な要因が存在しているのは事実である。共産主義のソ連と東ヨーロッパ「東側」、資本主義のアメリカと西ヨーロッパ「西側」のイデオロギー的な対立とも言える。 軍事的な直接的な対立、つまり「戦闘」が抑えられた代わりに航空事業や軍拡などシェアの拡大という対立が見られた。「宇宙開発競争」もその一つである。 宇宙開発競争の発端にはもちろん科学の発展や人類の宇宙への興味がある。しかし、冷戦期においては軍事拡張の面が大きい。ロケット技術はミサイル開発につながり、宇宙開発によって開発される技術の多くが軍事技術に転用できる点の利点が大きかったとされている。 1957年10月4日、ソ連は「スプートニク1号」搭載したロケットを宇宙に向けて発射し、世界初、人工衛星の地球周回軌道への送り込みを成功させた。第二次大戦に勝利し、あらゆる面で世界的に優越していると考えられていたアメリカはソ連のスプートニク1号のニュースに驚き、科学技術の面で敗北を感じる。パニックと表現されるように大きなショックがアメリカに響いた(スプートニク・ショック)。ソ連はロケットの成功により国威を揚げることにも成功した。 アメリカでは教育の面で「理数系」つまり「科学部門」に力を入れるという動向もみられた。競争という面では当然の動きであるが、アメリカの教育の一つの側面といえるだろう。

アメリカとソ連、双方ともに宇宙開発は進んだが、「月面を人間が歩くまで」という目標がイデオロギーの激しい対立の裏側にあり、それまで開発競争は進んだ。宇宙開発競争では大半の面でソ連側が先手を取り、動物(ネズミや犬など)を先に宇宙へ送ったのもソ連であった。無人探査機部門でもソ連が先に月面着陸を果たしたが、”人間”が月面に着陸できたのはアポロ11号を開発し打ち上げたアメリカであった。アポロ11号の着陸が冷戦期の宇宙開発競争の一つの終止点といえるだろう。 しかし、宇宙開発自体は現在も続いており、日本の無人惑星探査機”はやぶさ”の出来事もある。イデオロギー対立や領土拡張という対義は薄くなったが今も宇宙開発競争は続いている。



参考資料

wikipedia「宇宙開発競争」項

wikipedia「宇宙開発競争年表」項

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