小田原空襲

出典: Jinkawiki

小田原空襲は、アメリカ軍によって太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)8月15日に行われた空襲。実質、この戦争で最後に行われた空襲である。

8月15日、午前0時から3時頃海岸に向かう450メートルの通りの両側が爆撃され、同日早朝に鎮火した。死者48名、負傷者40名、全焼家屋474戸、全壊家屋10戸、罹災者1,666名というが、正確な被害は未だ把握されていない。

備考

この空襲は、野戦命令にも作戦任務命令にも無い。ついでに行われた空襲であると考えられる。

というのは、熊谷・伊勢崎を爆撃した攻撃機は、伊豆下田付近を通過して帰途につくコースが指定されており、どちらの都市を攻撃した機体かは判断できないが、機体を少しでも軽くするために、あるいは帰りがけの気まぐれな投弾により小田原は上記のようなひどい被害を被ったのである。また、しっかりと照明弾を照射している。

上にある通り、小田原空襲は気まぐれで行われた空襲であり、作戦目標となっているわけではないので、米軍側の報告書には小田原についての記載はない。

参考資料

小山仁示訳『日本空襲の全容』東方出版

太平洋戦争研究会『アメリカ軍の日本焦土作戦』河出書房新社


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