旗本

出典: Jinkawiki

 旗本とは、江戸時代一万石未満の幕臣の総称である。将軍と謁見する資格のある者を旗本といい、ない者を御家人という。もともと征夷大将軍の唐名を幕下といい、旗本は帷幕と軍旗を守る将士の意味で一般に使用された。原義は軍陣で、主将旗のあるところ(本陣)の意であるが、転じて主将の旗下にある直属の近衛兵をいう。  江戸初期には旗本の語意は幕臣一般の総称として使われ、御家人との区別は明確ではなかったが、17世紀後半以降、両者を分ける風が定着していった。公式文書ではお目見え以上と書くことが多い。将軍の直属家臣である大名・旗本・御家人のうち、旗本は知行高一万石以下で将軍に謁見できるお目見え以上の格式の者を称した。旗本とお目見え以下の家臣である御家人とを総称して直参、または幕臣といった。ただし、同じく一万石以下の直臣ではあるが、名家の子孫で幕府の儀礼をつかさどる高家と参勤交代の義務を持つ交代寄合は別格であり、老中支配に属した。旗本は御家人とともに若年寄の支配に属し、江戸在住を義務としたが、大名に対しては直参としての自負を持っていた。  

目次

旗本の人数

旗本の人数は、1722年(亨保7)には5205人(御家人17399人)で、そのうち100石から500石以下の者が約60%を占めていた。寛政期(1789~1801)もほぼ同数値である。旗本の出自は、徳川家の三河以来の譜代の士や大名家の分家、織田氏や豊臣氏以来の旧家の子孫や、武家以外にも儒者や医師、学問技芸により新たに召し出された者など多様な家で構成されていた。

非役と勤仕

 旗本の幕府勤仕は有職を原則としたが、無役の者は約33%を占める。有職の旗本は武事系の番方と文事系の役方に分かれ、はじめは番方が重視されていたが、泰平・行政複雑化などのためしだいに役方が重視されるようになった。番方は江戸城の警備および将軍に随行警衛することを諸任務とし、大番、書院番、小姓組、審番、小十人組の五番があった。

知行形態

 旗本の俸禄には知行取と蔵米取があった。知行取は実際に領地が与えられるもので、蔵米取は直轄領から収納した蔵米のなかから決まった額の米を支給されるものである。知行取は武家本来の知行形態の在り方として意識され、望む者が多かった。このため、大名の家臣では18世紀以降になると蔵米取が大部分を占めるのに対して、旗本の場合には知行取も多い。18世紀以降の知行取は2908人・275万石余、蔵米取は2030人・45万俵余となっている。

主要財源

 旗本の主要財源は、知行取は知行所からの年貢収入、蔵米取は幕府支給の蔵米であり、役料などがつく場合もある。しかし、知行・俸禄高の固定化と大江戸生活費の高騰などにより、初期から財政経済の窮迫をきたし、中期以降はとくに激化した。年貢強化、御用金賦課、半知借上政策などにもかかわらず借金は膨大化し、赤字財政は恒常化し、財政管理を知行所の名主などに委託する場合も生じた。この旗本債は藩債のごとく明治維新政府の肩代わりを得られなかった。幕府の崩壊により旗本は知行地・俸禄を失い、若干の金禄公債ないし一時扶助金を受けて、①徳川氏の駿府藩(静岡藩)への家臣化、②新政府官僚への転身、③官員・農商工業への転身などが行われた。

参考文献

下中弘編 1993 日本史大辞典 平凡社
渡邊靜夫 1994 日本大百科全書 小学館

ハンドル名:クリフ


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