日本のエスペラントの歩み

出典: Jinkawiki

1887年7月にポーランドでエスペラントが発表されると、翌5月には読売新聞に そのことが報道された。日本で初めてエスペラントを伝えた人物は91年ドイツの フライブルグに留学中だった動物学者・岡浅次郎(1868~1944)であった。のちに 彼の子供4人もエスペランチィストになることとなる。これとは別に、岡山市の 第6高等学校教官G.E.ガントレット(1868~1956)も入門書により独学で習得し、 通信教育をはじめ日本人700人にこの言葉を伝えた。  太平洋戦争に敗れてからは、1951年に創立された関西エスぺラント連盟を中心 に、エスペラントを使っての原子爆弾反対や反戦平和の運動が活発に展開された。 1960年以降はKLEG派のエスペラント文学が国際的にも認められるようになり、 1965年には第50回世界エスペラント大会をアジアで初めて東京に招待するにまで になった。日本におけるエスペランティストは、いずれかの会に所属している人 が約4000人、無所属も含めると約1万人と推定される。1994年にソウルで開かれ た第79回世界エスペラント大会には512人の日本人が参加し、同年10月には八ヶ 岳山麓に日本エスペラント学会の宿泊研修施設も開所し、日韓合同で客観的歴史 教科書を編集するなど、積極的な運動を展開している。  今後は、国際交流の活発化と自由時間の増加、英語教育の行き詰まり、などの 条件が絡み合い、エスペラントが一層普及すると考えられる。2007年には横浜で 第92回世界エスペラント大会が開催された。


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