日露戦争
出典: Jinkawiki
日露戦争は1904年~1905年に渡り、大日本帝国とロシア帝国が朝鮮と南満州(現・中国東北部)の支配をめぐり、満州を戦場としおきた、いわば帝国主義の領土獲得戦争である。
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原因
日露戦争の原因のひとつとして考えられるのが、清国で起こった義和団事件である。清には日清戦争後、ドイツ・ロシア・イギリス・フランスなど列強国が租借地として努力圏を広げていった。これに対し、清では「扶清滅洋」をスローガンとし、民衆による排外運動が盛んとなる。清朝政府もこれを支持し、1900年に宣戦布告する。この義和団の戦いには、ロシアが建設していた東清鉄道を保護するために出兵した。1901年に議定書が結ばれ、義和団事件は終結するが、ロシアは大軍の駐屯を続け、英国・清から抗議を受けたが、一部撤退するのみであった。これに対して日本も、満州に駐兵を続けるロシアが朝鮮に進出してくるのではないかと脅威に感じ、中国において絶大な権力を誇っていた英国と同盟を結ぶことになる。これが1902年の日英同盟協約である。この条約には、朝鮮半島と中国大陸で互いの利権を認め合う内容が盛り込まれ、これにより日本ではロシアと戦おうという世論が広がっていく。そして、1903年、ロシアとの戦争を回避しようと考えていた伊藤博文が皇帝ニコライ2世と謁見し、朝鮮半島は日本が満州はロシアが支配におくという提案をし交渉を行ったが、失敗に終わる。その後1904年2月6日、日本の安全のためには朝鮮半島からロシアを駆逐する必要があるとし、小村寿太郎外相はロシアに国交断絶を言い渡す。2月8日、日本軍は韓国に上陸を開始すると共に旅順のロシア軍に攻撃を開始。2月10日、日露両国が宣戦布告し、日露戦争が始まる。
日露戦争の背景
戦略
日本:国力・軍事力の点において圧倒的にロシアが有力であることは、政府首脳が認識しており、緒戦で勝利し早い段階で英・米などに和平調停を依頼する。また欧州で戦争国債を発行し、それで戦費をまかなうことからも緒戦は重要としていた。また、日本は間諜によりレーニンを始めロシア内外の革命勢力と接触、支援した。
ロシア:日本は国力から、戦争を自ら起こすとは考えていなかったが、極東情勢が緊迫する中、圧力をかける意味でも極東の軍事力を増強、戦争不可避と見るとさらに要塞などを強化。
国情
日本:歳入 約2.5億円 兵力 約20万
日本は明治維新以後、欧米列強に伍して近代化を進めていくために植民地政策として朝鮮に依存していかなくてはならなかった。それに対し、ロシアの南下は植民地だけでなく日本本土にとっても直接的な脅威と感じられ、必死に阻止することが重要な外交戦略となった。
ロシア:歳入 約20億円 兵力 約200万
18世紀以来の極東南下政策がロシアの基本。また、後発の植民地帝国としても満州・朝鮮に基地を作る必要を感じており、また不凍港を手に入れることも宿願であった。一方、国内では体制に対する不満から革命分子が数多く、国民の関心を外に向ける必要もあった。
講和
日本の勝利が相次いだが、日本は財政的・軍事的にも限界を迎え、これ以上の戦争維持は困難となっていった。こうした状況下で、自らも満州の権益を得たいと考えるアメリカが仲介となり、休戦への動きが強まっていき、1905年9月、アメリカのポーツマスで日露講和条約つまり、ポーツマス条約が調印された。条約で日本は朝鮮の指導・監督権、遼東半島南部の租借権、東清鉄道の一部(長春・旅順間)、南樺太(北緯50度以南の樺太)を獲得。戦後、両国は日露協約を結び、満蒙における勢力範囲を設定。このため、門戸開放を掲げるアメリカとの間で満州における日米対立が顕在化した。
主戦論と非戦論
三国干渉以来の反露感情に火がつき、日露開戦を主張する対露同志会や戸水寛人ら帝国大学教授の七博士を中心にマスコミは直ちに戦うべきと主戦論を唱え、世論も同調した。そのなかで、少数だがクリスチャンの内村鑑三や、社会主義者の幸徳秋水など非戦論を唱える者もいた。有名なのは、開戦したのちに与謝野晶子が発表した「君死にたまふことなかれ」の詩である。
参考
『日露戦争史・20世紀最初の大国間戦争』横手慎二:著 中央公論新社 2005年
『日露戦争の世紀-連鎖視点から見る日本と世界-』山室信一:著 岩波書店 2005年
『世界史用語集 ちゃーと&わーど』相田知弘・稲田真乗・岡留正幸・佐藤専次・柴山滋・林秀範:共著 駿台文庫株式会社 2005年
日清・日露戦争 http://www.ne.jp/asahi/chronicles/map/nichirowar.htm
NHK 高校生ライブラリー http://www.nhk.or.jp/kokokoza/library/2008/tv/nihonshi/archive/resume034.html
『図解雑学 日本の歴史』前澤桃子:著 ナツメ社 2001年