浦島太郎

出典: Jinkawiki

この話は、六朝時代に編集された『拾遺記』にあるのだが、『拾遺記』は、その原本が東晋の時代(5世紀以前)に書かれわけだから、『日本書紀』や『丹後国風土記』よりもずっと古い。だから、中国南部にあった民間伝承が日本に伝わり、それを伊預部馬養が日本風にアレンジして、史実であるかのように書き記したと考えることができる。実際、『日本書紀』や『丹後国風土記』に書かれている浦島伝説には、「蓬莱山」、「仙都」、「神仙の堺」など、中国の神仙説話から影響を受けたことを示す言葉が使われている。日本の浦島物語の直接の起源は、洞庭湖周辺の長江流域にあると私は考えている。だが、この程度の結論で満足してはいけない。なぜ竜宮伝説が生まれ、それが日本に受け入れられ、広まったのかをさらに問わなければならない。日本の浦島物語には竜が登場しないのに、なぜ乙姫様の住居は竜宮なのか。なぜ楽園が天の上ではなくて、水の中にあるのか。これらがわかっていなければ、浦島物語の本当の意味を理解することはできない。竜宮伝説において、竜女は母で、水は羊水で、竜宮は子宮である。だから、水底にある竜宮へ行くことは、胎内回帰を意味する。母のもとへ帰ることが、竜宮伝説で繰り返されるテーマなのだ。実は、『拾遺記』に記録されている最初の竜宮伝説の舞台は、洞庭湖ではなくて洞庭山で、竜宮は洞窟の中にある。しかし、これは重要な違いではない。どちらも地母神の子宮であることに変わりがないからだ。日本の竜宮伝説にも、竜宮が地中の中にあるとするバージョンがある。日本の標準的な浦島物語には、竜宮が亀宮になっていないにもかかわらず、竜女が亀姫になっているという不徹底な変更が加えられているが、この変更も、あまり本質的ではない。亀は、甲羅を背負っているところから、母なる大地を背負う神として考えられていた。ただ、亀は大地の象徴で、蛇は川の象徴という明確な区別があるわけではない。亀が水棲の動物で、蛇は陸棲の動物であるため、容易に混同が起きる。四神獣の一つである玄武は、亀と蛇を合成した空想上の動物で、日本でも亀蛇(がめ)の信仰がある。

参考文献 浦島物語の起源は何か


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