計帳
出典: Jinkawiki
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計帳とは
調・庸を徴収するための重要な台帳。毎年作成する。戸口の氏名・年齢・性別・課不課の別や個人の特徴などを書き出させた。現存する計帳では724(神亀元)年の近江国志何郡計帳(現存最古)や726(神亀3)年の山背国愛宕郡出雲郷計帳が有名である。戸籍と合わせて籍帳という。
作り方
戸籍とほぼ同じで6月30日以前に各戸から手実(しゅじつ)というメモを提出させた。そのメモには現在居住している者の名前・性別・年齢などが書かれている。戸主がまとめて提出する。現実には文字を書ける人は少ないため、里長や郡司が代筆することが多かった。国庁は、手実をもとにしてその一覧を作ってそれに課税対象となるかどうかの区別を書き込んで集計した。そして、中央政府には、この概数・概略を示した大計帳を提出した。これによって、政府は、税収入の見込みを立てていた。
主記(記録)より
この計帳には、天平5年(733)の「右京計帳」には、「課 戸主秦子宅牧床 年三十八 正丁 左頬黒子」「母韓人智努女 年六十正女 左頬疵(きず)」などと記録されている。これはその人を探しだすてがかりを記したものである。天災や重税を逃れようとして本貫地から浮浪・逃亡したときに本人を確認するための方法である。実際に神亀3年(726)の「山背国愛宕出雲郷計帳」には「養老六年逃」「和銅六年逃」などと記録されている。
「計帳とは」でも述べたように、律令国家は人びとを戸籍・計帳に登録し、班田収授を行うとともに租・庸・調以下の租税の賦課を行った。そうした租税の賦課は各人の登録地、すなわち本貫地でなされることになっているため、律令国家は人びとが本貫地から離れて他の土地に移住することを原則として禁止した。しかし、実際には本貫地からの浮浪・逃亡(律令では本貫地を離れていても課役を納めるのが浮浪、納めないのが逃亡とされているが、実際には両者の区別はあいまいである)は跡を絶たなかった。こうした浮浪・逃亡は、一般には貧窮した班田農民が重い租税負担から逃れるために行ったものとされているが、浮浪・逃亡者は比較的富裕とみられる戸からも出ており、計画的な移住のために本貫地を離れる場合も浮浪・逃亡とされたようである。このように当時はさまざまな理由で本貫地を離れる者が少なくなく、本貫地において租税を徴収するという律令国家の基本政策は次第に維持し難くなっていった。
参考文献
「時代の流れが図解でわかる! 早わかり古代史」 松尾 光 編著 日本実業出版社
「日本史B用語集」 山川出版社
http://www.archives.pref.fukui.jp/fukui/07/kenshi/T1/4-01-02-03-03.htm