黒人差別2

出典: Jinkawiki

黒人奴隷制度

 1619年、20 人のアフリカ黒人が植民地労働力として、ジェームズタウンに輸入された。しかし、この時すぐに黒人奴隷制度が成立したわけではなかった。イギリス本国による奴隷貿易の励、原住インディアンの奴隷化の失敗、白人年期奉公人制度への不満が募った結果 として、1641 年から黒人奴隷制度が推し進められ、次第に植民地全土にわたって法令化されていった。北部の奴隷商人の利益と、より一層安価で安定性のある労働力を求める南部 のプランターの利益とが合致した結果、黒人奴隷制度は急速に発展したと言える。

黒人差別の現状

 現在も黒人と白人の経済的格差は依然として大きく、黒人内部に階層分化が進行している。さらに、膨大な数の貧困層が生れ、失業、貧困、社会的無秩序、隔離、家庭崩壊、住 宅と学校の劣悪化などが一層進行していっている。大都市中心部にある人種的に隔離された黒人居住地区をゲットーという。ここでは 市の他の地区が受けられる公共サービスが受けられず、人々は、貧困状態陥っているため、失業、犯罪、麻薬中毒、アルコール依存症、伝染病、早期死亡、自殺などが多発している。政治進出と雇用の現状においては、1970年代、黒人の政治的諸権利の行使、特に南部諸州における黒人有権者の登録が急速に進み、裕福な黒人たちの政治進出が際立った。1990 年、ワシントンの市長選挙で 民主党の黒人女性が当選し、アメリカ合衆国史上初の黒人女性市長が誕生した。1940 年、わずか33人だった黒人公職者は、現在、9061 人(2001 年)にまで増加した。黒人公職者の増加は、公民権運動の成果を象徴的に表わしていると言えるが、公職者全体に占める黒人の割合は、総人口比に比べると差が大きく、いまだ政治進出における白人 との不平等は歴然としているといえる。  

黒人差別の事件

 アフリカ系アメリカ人(黒人)に対する警察の取り締まり手法をめぐる抗議デモが現在、全米規模に広がっている。特に、注目を集めたミズーリ州ファーガソン市とニューヨーク市の2つの事件では、いずれの大陪審も、アフリカ系男性を死亡させた白人警察官に対して不起訴処分という「門前払い」を決めたこともあって、不満が一気に爆発する形になっている。今回の一連の事件の最大の争点は「警察が人種差別的な意識から過剰な権力行使を行っているのかどうか」ということである。実際、警察にとってみれば、やはり犯罪を行うのは、アフリカ系の方が多いという何とも言えない悲しい現実がある。実際にアフリカ系は白人に比べて投獄される割合が6倍程度高いといわれている。もし、「アフリカ系=犯罪者の確率が高い」と判断し、特定の人種に対して先入観を持って取り締まることが警察捜査においあっとしたら、それは差別そのものであり、道義的な問題があるといえる。


参考 「アメリカ黒人の歴史 - 奴隷貿易からオバマ大統領まで」(2013)著者 上杉忍

 http://benedict.co.jp/smalltalk/talk-90/ 地球歴史館

投稿者 N.dragon


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