7年戦争

出典: Jinkawiki

・概説 7年戦争は、1754年から1763年まで行われた戦争である。 ハプスブルク家がオーストリア継承戦争で失ったシュレージエンをプロイセンから奪回しようとしたことが直接の原因だが、そこに1754年以来の英仏間の植民地競争が加わり世界規模の戦争となった。イギリス・プロイセン側とその他の列強(フランスとオーストリアとロシア、スペイン、スウェーデン)に分かれてオスマン帝国を除く当時の欧州列強が全て参戦しており、戦闘はヨーロッパ以外にも拡大した。またムガル帝国がフランスの支持を受けて、イギリスによるベンガル地方の侵攻を阻止しようとした。 この戦争の前にフランスとオーストリアは、台頭してきたイギリスとプロイセンを抑えるために古くからの因縁を捨てて同盟を組んだ(外交革命)。しかし、戦争の結果、イギリスの飛躍とフランスのヨーロッパの勢力均衡を変える結果となった。

・戦争の結果とその後 イギリスとフランス間の戦争は1763年のパリ条約で終結した。 条約は複雑な領土交換を定め、そのうち一番の影響が大きいのはフランスがルイジアナをスペインに、それ以外のヌーベルフランスの領土をサンピエール島およびミクロン島を除いて全てイギリスに割譲したことであった。フランスはまた、ミノルカ島をイギリスに返還した。 戦勝国のイギリスとプロイセンのヨーロッパ内での地位は間違いなく向上した。

参考文献 Wikipedia「7年戦争項」

ハンドルネーム:てんや


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