ちびくろサンボ2

出典: Jinkawiki

『ちびくろサンボ』は、作者がヘレン・バナマンで、1899年にロンドンのグラント・リチャーズ社より出版された。ヘレン・バナマンが『ちびくろサンボ』を書いたのは1898年、娘二人をインドの高原避暑地に送り届けた後、夫の任地であるマドラスへ戻る列車の中でのことだった。この作品は、その後まもなく一冊だけの私家版として作られ、二人の娘のもとへ届けられた。この手作り絵本は出版を予定したものではなかったが、彼女の友人が出版を強く勧め、その友人がこれをイギリスへ持ち帰り出版社と交渉した。その結果、『サンボ』は1899年、イギリスの出版社グラント・リチャーズから著者権買取りを条件に出版されることとなった。バナマンは、著作権の譲渡を拒否したが、出版社に強引に押し切られた形となり原稿さえ戻らなかった。そのためほとんどのイギリスの『ちびくろサンボ』の著者表記にヘレン・バナマンという文字はない。グラント・リチャーズ版のサンボは、『子どものためのダンピィ・シリーズ』の第4巻として1899年10月に出版された。『ちびくろサンボ』は、さらにアメリカでも1900年にフレデリック・ストークス社から表紙を付け替えただけで出版された。アメリカでは、登場人物をアメリカ南部の黒人奴隷やアフリカ「土人」に書き換えるなど差別的なアレンジをされ、バナマンを著者として明記しないまま多数の『ちびくろサンボ』の異版が生み出され、その中で爆発的に受け入れられたのだった。 イギリス・アメリカの現在の『ちびくろサンボ』出版状況は、まずイギリスでは、グラント・リチャーズ社から版権を引き継いだチャトー・アンド・ウィンダスによるオリジナル作品の出版が長く続いてきたが、1989年現在チャトー版が絶版扱いになり、ラインハート版が新たに出版され始めたことになっているが、両者はまったく同じ内容の版である。アメリカでは、3社の『ちびくろサンボ』が購入可能となり、この内2点はいずれも、オリジナルの文章とチャトー版と同じイラストを使用した版だった。(ただし一つはチャトー版オリジナル・イラストの模写を使用しており、編集されていたイラストの数はチャトー版より少なかった。)未確認の一点はハーパー・アンド・ロー社のものだが、これは出版事項から判断するかぎりでは、1923年に初版を出していたリッピンコット版を買収しての版と考えられる。リッピンコット版はチャトー版のレベルでのオリジナル版である。つまり、アメリカでも現在残っている版はチャトー版のオリジナルのみということになる。 ちびくろサンボの、どこが問題になったかというと、第一に、主人公の名前の「サンボ」である。「サンボ」という言葉はアメリカでは、黒人を差別する語として使われている。第二に、醜い絵が黒人のイメージを決まった形にしているという点である。第三に、話の内容である。持ち物をすぐに渡してしまう主体性のなさと、食欲が黒人のイメージを焼き付けているとして問題に挙げられている。(ここで補足しておく。食欲の問題について、先ほどの全容では述べていなかったが、話のなかで、最後にホットケーキを父ジャンボは55枚、母マンボは27枚、サンボは169枚も食べている。)

参考文献

『ちびくろサンボ』絶版を考える 径書房編 径書房発行 1990

「ちびくろサンボ」問題を考える―シンポジウム記録 日本図書館協会図書館の自由に関する調査委員会関東地区小委員会編 日本図書館協会発行 1990


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