ちびくろサンボ6
出典: Jinkawiki
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経緯
作者は、ヘレン・バナマンというイギリス人(スコットランド人)の平凡な主婦である。ただ、彼女は、夫が官僚として赴任したため、当時イギリスの植民地であったインドでその生涯の大半を過ごしている。1898年、ヘレンはまだ幼い子供たちとしばらく離れて暮らさなければならないことになった。母として子供たちにしてやれることは何かと考えて、みずから絵を描き、文章も書いてできたのがこの物語であり、本来はバナマン家だけに伝わる物語として終わるはずであった。しかし、ヘレンがこの絵本を見せた友人が執拗に出版を勧めたことから、広く世界中で読まれることになった。絵本はイギリスで出版され、当時としては驚異的なベストセラーとなったが、版元が版権をしっかり確保しなかったために、さまざまな海賊版がでることとなった。好き勝手な絵がつけられ、サンボも黒人の特徴をひどく誇張した姿に描かれた。原作者の名前が明記されないことすら普通であった。
アメリカでは
『ちびくろさんぼ』は童話なのだから、当然フィクションである。しかし、その舞台のモデルとなったところがどこかといえば、インドと考えるのがいちばん自然であろう。なにしろ、物語には虎が出てくる。ライオンはインドにも少数ながらいるが、虎はアフリカにはまったくいないアジアの動物である。だから、主人公のサンボも、本来はインド人の少年がモデルだったと考えられる。しかし、この物語がアメリカに伝えられると、サンボはいつの間にか、アフリカ系の黒人となり、「サンボ」という名前もその文脈で考えられることになった。ヘレンが主人公にどのようなつもりで「サンボ」という名をつけたのかは、今となっては分からない。チベット系の人々に多い名前だという説もある。インドにはチベット系の人は多いので、頭からこれを否定することはできない。しかし、アメリカで「サンボ」というと、どうしても別の解釈が優勢になってしまう。アメリカには「ミンストレル・ショー」という一種の漫才があった。演じるのは顔を黒く塗った白人で、ひどく黒人を戯画化して演じていた。この時に「ボケ」役の黒人によくつけられた名前が「サンボ」だったのである。このため、すでに第二次大戦中から『ちびくろさんぼ』も黒人からの批判の対象となり、60年代の公民権運動の高まりの中で、本屋の店頭から消えていった。今日では、絶版にこそなってはいないが、一々注文しないと手に入らないという。
日本では
1988年、日本でこの本が廃刊されるきっかけを作ったのは、日本のデパートに黒人の特徴をひどく誇張したマネキン人形が置かれていることを報じたアメリカ紙『ワシントン・ポスト』の記事であった。これを読んだ大阪の堺に住む有田利二氏は、『ちびくろさんぼ』を出している出版社に軒並み手紙を書き、廃刊を訴えた。そして、最大のシェアを誇っていた岩波書店が真っ先に廃刊にしたのを皮切りに、各出版社が雪崩を打って廃刊に踏みきり、『ちびくろさんぼ』は書店から姿を消した。このときの廃刊がいかにも日本的な「自粛」によって、踏み込んだ議論もなしに行われたことがあとあと禍根を残すことになった。差別語への批判が盛んであった当時、最大の問題とされたのは、「サンボ」という名前であった。アメリカで、黒人がジャングルに住んでいるということ、絵が黒人を戯画化していること、ラストシーンで黒人の食欲が誇張されていることなどが問題にされていたのとは対照的であった。 1999年、「ちびくろさんぼ」は、硬派の出版社として知られる径(こみち)書房から、ちょうど十年ぶりに再刊された。絵は日本では初めてバナマンの原画に近い初版本の絵が採用された。再刊をめぐって社内で徹底的な討論を行い、その結果、この物語には差別性はないと認定したという。再版にあたっては、京都産業大学の灘本昌久助教授の働きかけがあったと考えられている。灘本氏は、著書でみずから書いているとおり、祖父母が四人そろって被差別部落の出身である。本人は部落の外で育ったものの、自分のルーツへの関心から、部落解放運動にも浅からず関わった人である。
参考
『ちびくろサンボ』の廃刊と再版に思う (http://www.geocities.co.jp/collegeLife-Labo/6084/Sambo.htm)