オランダの共生教育が日本に願うこと

出典: Jinkawiki

[オランダの共生教育]   「みんな違っていて当たり前」というキャッチフレーズが頻々と飛びだすオランダの学校。普通クラスで、他の子どもたちと机を並べて学ぶ障害を持つ子どもたち。国の資金でオランダ語強化補習を受けたり、小規模クラスで授業を受ける外国人の子どもたち。何らかの事情で留年や不登校になっても、やる気を起こした時にはいつでもやり直せる中等教育。中等教育の卒業資格認定によって、高い水準の幅広い能力を保障されて大学や高専に入って来る学生たち。また、先生たちには研修の機会が多く与えられ、生徒発達モニターや教育監督局の診断など、様々な形で国や外部の組織によって支えられている。どこをとっても、オランダの現在の学校には〈競争〉の要素はなく、子どもたちの〈自立心〉を育て、〈共生〉の仕方を学ばせる場となっている。教育文化科学省が「シチズンシップ(市民性)教育」のガイドラインとして配布した「民主的な法治国家の基本的な価値意識」は、「表現の自由とは他の人の意見に反対意見を言って良いこと、異なる価値観を持っている人を差別したり排除したりしてはいけないこと」を子どもたちに平易な言葉で伝える。子どもたちは小さい時から、授業の中で、身の回りのホンモノの世界に触れ、世界や国内の時事を真剣に議論している。小学生は死刑の賛否を、中高校生ともなれば安楽死問題や避妊を議論し、国政選挙の直前には模擬選挙に参加する。

[ポルタ―モデル ―生存のための共生]    オランダが目立っていたのはパートタイム就業率が高いことだ。オランダのパートタイムはフルタイムと同様正規雇用者と見なされ、納税義務がある一方、社会保障の対象となり、また有給休暇などの雇用条件も保障されている。パートタイム就業は管理職や専門職にも普通に見られる。例えば、医者や企業の管理職についている高学歴の女性たちが、育児の時期にパートタイム就業を選ぶ、というケースが稀ではない。オランダのこのような雇用制度は日本でも、「ワークシェアリング」として有名である。この制度は1980年代に失業対策として施行され、12%にも及んでいた失業率の低下に功を奏した。この制度を実現できた背景には政府・労働者・企業家が同等の立場で話しあいに参加し、お互いの利害をすり合わせて、誰にとっても納得のできる政策の実施を生み出すという、伝統的な制度があったからだと言われている。この時のオランダの目覚ましい経済回復は諸外国から「ポルダーモデル」と称賛された。「ポルダー」とは、堤防で周りを囲い、中の水をくみ出してつくる干拓地のことである。国内に住む人々が洪水の被害にあわないためには、皆が力を合わせて協力しなくてはならない。それと同じように、諸外国との経済・通商関係の中で、小国オランダが対等に渡りあうためには、国内の利害対立をできるだけ小さく抑え、共に力を合わせて政策を決定していかなくてはならない、という考えを象徴している。ポルダーモデルとは、利害の異なる人たちが、対立によって社会を分極化させてしまうのではなく、話しあいの場に積極的に参加することによって〈連帯〉を生み出す仕組みに他ならない。オランダの学校が、子どもたちに〈共生〉の社会を積極的に体現して見せ、また、〈共生的〉に社会参加をする方法を考える理由はここにある。時間当たりの労働生産性が高いオランダ人たちは、有給休暇をフルに利用して家族との時間を生み出している。小さな子どものいる親たちは、残業せずにほとんど毎日、夕食を子どもと共にとっている。パートタイムが正規就業であるため、週のうちに2、3日は両親のいずれかが育児・家事に取り組む家庭が少なくない。現に、親と過ごす時間がたっぷりと保障されているオランダの子どもたちは、「親と何でも話せる」「朝食を欠かさずにとる」と答える比率が諸外国に比べても大変高い。家庭生活を守られた大人たちは、おのずと教育にも関心を持ち、学校活動に協力する。経済、雇用、福祉対策への関心も高く、国政選挙の投票率は8割に達する。余暇を利用して、NPO活動やボランティア活動に関わる大人も少なくない。オランダ人の多くはモノやサービスを金で買い取るだけの消費者としてではなく、労働と家庭生活と社会参加という、バランスのとれた市民らしい生活を生きている。

[日本の中で共生を阻んでいるもの]    日本でも〈共生社会〉の実現が求められている。しかし、日本でオランダのような共生の社会を実現できないのはなぜか。 明治維新に始まった日本の近代教育は、欧米先進諸国の学校制度を形の上では取り入れた。また、戦後の民主教育は、軍国主義になだれ込んだ戦前の教育への反省から生まれたものであった。それにも関わらず、明治以来今日まで一貫して、日本の近代教育には〈近代〉という言葉に象徴される、権威主義の抵抗、自立した市民としての人間形成の場はなかった。欧米先進工業国を追いかけ、ひたすら経済発展を追求するあまり、人間を機械の変えるような画一的な教育でしかなかったように思う。それは、日本の近代教育が他の様々な社会制度と同様、官僚主導で行われてきたもので、保護者や教員といった、現場の市民の意思を反映しないものであったことに顕著に表れる。その挙句の果て、世界第2の経済大国は、自殺と引きこもりが桁外れに多く、自分さえ良ければいいと社会に背を向ける孤独感に苛まれた人々に溢れた国になった。国際社会では、経済では、「巨人」、しかし、政治では「小人の国」とさえ言われるありさまだ。にも、関わらず日本の教育制度に変化がなかったのは、「競争しなければ良い人材は生まれない」という、頑迷な迷信があったからではないかと考えられている。欧米先進諸国のほとんどが、卒業資格認定制度によって、1人ひとりの子どもを、それぞれきちんと基準が定められた到達目標に向けて育ててきた何十年もの間に、日本の大人たちはただひたすら、無意味な競争主義の教育を推進し続けてきた。入試競争や、学校間格差や子どもの能力の差を表すだけの学力テストなどによって、子どもをふるいにかけ、あたかもそれで子どもたちの教育をしているような錯覚を持ちつつ、子どもの発達の権利を保障するという義務を怠ってきた。入試制度があるために、日本では、検定教科書という狭い範囲の知識を子どもたちに詰め込む以外の教育をすることができない。子ども1人ひとりのニーズにあわせて教材や教育方法を多様化しても、結局は入試に必要ではないからと軽視されてしまう。紙上で測ることのできる能力だけを重んじる入試制度は、子どもたちの社会性や情緒の発達を機会を奪っている。今後日本がオランダのような教育を行うためにはまず学校を根本から変えるしかない。それは日本社会のすべての大人に課された課題である。

参考文献 ・オランダの共生教育―学校が〈共生心〉を育てる 発行日:2010年10月1日   発行社:株式会社平凡社 著者:リヒテルズ直子 


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