カウラ脱走事件
出典: Jinkawiki
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カウラ脱走事件
第2次世界大戦時に、カウラ(オーストラリア)の日本人収容所で起こった脱走事件
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内容
第2次世界大戦時、日本とオーストラリアは敵対国であり、カウラの収容所では1100人を超える日本兵や日本人移住者が収容されていた。
1994年8月5日、日本人378人がこのカウラの収容所から供給された武器にもならないフォークやナイフを持って集団脱走を図った。
その結果、9日後には334人が捕まり、231人の日本人と4人のオーストラリア人が亡くなった。
脱走した者のうち、カウラから24キロも逃げた人もおり、脱走途中で亡くなる人もいた。
また、当時の日本は「相手に捕まるくらいなら、死んでも戦え」という考えがあり、自殺する者もいた。
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今のカウラ
現在、収容所のあった場所は牧場になり、近くに日本人戦没慰霊園が作られた。
そこには、本格的な日本庭園や日本文化を紹介する施設、5㎞にも及ぶ日本桜の並木道(SAKURA Avenue)がある。
これらはカウラで起こった出来事を忘れず、逆に友好の証として両国の協力で作られたもので、南半球で桜の咲く9月からは、
オーストラリア人と日本人がイベントを通して交流をしている。
また、この墓地に眠る見ず知らずの日本人のためにオーストラリアの青年たちが手入れをしてくれている。
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参考文献
「ちょっといい話」佐藤光浩著
「日本人捕虜収容所」 http://konotabi.com/
「Wonderful Australia」 http://web3.incl.ne.jp