カレン事件

出典: Jinkawiki

カレン事件  


 アメリカ国ニュージャージー州在住のカレン・アン・クインラン(当時21歳)は1975年4月、友人の誕生パーティーで飲んだ強い酒と常用していた精神安定剤により意識不明に陥り、病院に運ばれた。彼女の脳は回復不能の障害を受け、その後肺炎を起こし、人工呼吸器と経管栄養のチューブがつけられた。その後も治療は続けられていたが、約半年後には「持続的植物状態」と診断された。だんだんカレンは痩せこけ、容貌が日に日に衰えていく様子を見かねた両親は、担当医に“娘を安らかに眠らせてほしい”と頼むが、拒否されてしまい、両親はニュージャージー州の高等裁判所に訴えを起こす。しかし、“カレンが意思決定できない以上、人工呼吸器をはずす権限があるのは医師だけ”と「ノー」判決であった。そこで、訴えは州の最高裁へ持ち込まれ、76年3月31日、一転して父親の訴えを認めるという画期的な判決が出される。「カレンの父親を後見人と認め、医師を選ぶ権利を与え、選ばれた医師・倫理委員会が呼吸器をはずすべきだと判断をしたならば、はずしても良い。取り外しを決定した医師、父親にも民事・刑事の法的責任は一切なし。」とした。この判決を受け、カレンは別の病院へ転院させられ、そこで人工呼吸器がはずされた。しかし、他の医療措置や栄養補給は続けられ、カレンは9年間あまりも植物状態のまま行き続けた末に、85年6月肺炎でなくなった。この裁判は世界中に報道され、センセーショナルな話題をもたらしたといわれる。


 この事件によって、当時「死ぬ権利」を認めるものであるとして理解された。そのために「死ぬ権利」問題が前面に出てきたきっかけといえる。しかし、実態は持続的植物状態の患者の人工呼吸器を取り外すことを世界で始めて認めた、それも、本人の権利を後見人である父親に代行させたというものであった。本来、植物状態の患者の中には、まれに意識を回復し、社会復帰を果たすという例もあるため、ターミナルケアの問題とは同一に論じられることは少ない。治療をしないという不作為ゆえに植物状態の患者がなくなった場合「消極的安楽死」と言われるが、これは安楽死の範疇に入るものではなく、医療の範疇における「治療行為の中止」であるとの捉え方が有力視されている。


 この裁判で問われたのは、アメリカ合衆国憲法が全ての国民に認めている「プライバシー権」(治療拒否権を含む)と患者の生命を保持して最善の治療を提供する意思の権利の折り合いをどうつけるかという点である。今回は後見人・医師の判断により人工呼吸器を取り外した後も自発呼吸で9年間生き続けたので、取り外しが即、死を招くことはなかったが、その可能性は危惧された。 


 このカレン・アン・クインランさんの両親による裁判は世界の動向に大きな影響を与えた事件のひとつとなり、今では広く受け入れられるようになった尊厳死、自然死の概念を形成する大きなきっかけとされている。


参考文献

  『許されるのか?安楽死』 著・小笠原信之  緑風出版

   http://www.arsvi.com/d/et-usa1976.htm


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