スカーフ事件5

出典: Jinkawiki

スカーフ事件

フランス下院は2004年2月10日、今秋の施行を予定した「公立学校における宗教的シンボル禁止法案」を圧倒的多数で可決した。上院の審議は3月初旬に行われる。この法案は、シラク大統領が設置した諮問委員会の勧告を受けて提出されたものであり、広くは宗教を理由とした公共ルール違反を認めるべきではないとの問題意識に立っている。革命によって生まれたフランス共和国の政教分離(ライシテ)はきわめて先鋭的で、すでに1886年の時点で「宗教を排除した義務教育」や「教師の宗教的中立義務」に関する法律を制定している。今回の法案をめぐっては、その立場に基づいた賛成論、それに対して文化の多様性、信教の自由、教育を受ける権利、あるいは新法の必要性に対する疑問などに基づいた反対論、さらには抗議デモが巻き起こり、近隣のヨーロッパ諸国からも「不可解」と評されるほどの政治的緊張が生まれている。


スカーフ問題に関し、ドイツの場合、法的な禁止を考えているのは一部の州にすぎない。ドイツではイスラム教徒が実に320万人(人口の3.8%)を数え、そのほとんどがトルコ(またはクルド)の出身である。カールスルーヘにある連邦憲法裁は2003年9月24日、アフガニスタン出身の女性教師の訴えを受けて、バーデン・ヴュルテンベルク州当局が彼女に教室でのスカーフ着用を禁じたのは誤りだったという判決を下した。裁判官によれば、同州はそもそも「万人に受け入れ可能な規制」のあり方を探り、法律を制定しておくべきであった。それから4カ月後、ドイツの16の州・特別市のうち、10の州・特別市は依然としてスカーフ着用を法律で禁じることは考えていない。ザールラント、ヘッセンの2州とベルリン特別市ではすべての公務員について、またバーデン・ヴュルテンベルク、バイエルン、ニーダーザクセンの3州では公立学校についてのみ、禁止法を制定しようとしている。ただし、キリスト教やユダヤ教のシンボルまで標的にしようとはしていない。


このような展開は当然、激しい議論を引き起こした。キリスト教民主同盟(CDU)のメルケル党首は党指導部に宛てた文書の中で、キリスト教的な伝統は「我々の文化」の一部を成すとして、宗教的シンボルを公共の場から排除する必要を認めなかった。ザクセン州のマイジエール法相も「このままいけば、国家と教会の極端な分離にまでつながりかねない」と同意見だ。社会民主党(SPD)所属のティールゼ連邦議会議長は「原則的に国家は宗教上の中立の義務を負う」と前置きしたうえで、「十字架は抑圧の象徴ではないが、イスラム教徒にとってのスカーフは違う」と明言した。ラウ大統領の見解はこれらとは異なっており、禁止の対象をキリスト教のシンボルにも広げるべきだという。


引用:[[1]] hn:osushi


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