チェルノブイリ原発事故11
出典: Jinkawiki
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概要
1986年4月26日の午前1時23分に旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所の4号炉でタービン発電機が完全に止まるまでの慣性の回転エネルギーをどこまで利用することができるか、という実験の最中に発生した事故である。原子炉の温度が急上昇し、水蒸気や水素が急激に発生し爆発を引き起こした。これによって原子炉とその周りの建物が破壊され、大量の放射線が外部へと流れ出た。この事故によって発電所の運転員と消防隊員合わせて28名が死亡した。またチェルノブイリ原子力発電所から半径30キロに住むおよそ13万5000人もの人々が避難を余儀なくされた。チェルノブイリ原子力発電所では放射性物質を漏れ出さないようにするシステムや原子炉を自動停止するシステムなどがなく基本的な設計が不十分であった。また運転員が決められた通りに操作をしなかったり、水で冷やす装置を働かないようにしたりと規則違反が複数あった。さらにソ連政府の発表が遅れたため被害がより甚大のものとなってしまった。
原子炉のタイプ
原子炉にもいろいろなタイプがあり、事件の起きた4号炉はソ連が独自に開発した原子炉である。今の日本の原子炉とは大きく違うが、その一つに「自己制御性」がある。日本の原子炉では炉内の温度が上がって蒸気が発生すると、燃料が燃えに食うくなり温度の上昇を「自己制御性」がある。
一方でチェルノブイリ原子力発電所4号炉では温度が上昇して蒸気が発生すると炉の温度も上がっていき、「自己制御性」がなくなってしまう。その他にも日本の原子力発電所とは仕組みや運転管理体制に大きな違いがあった。
影響
チェルノブイリの事件から20年目の2006年、世界保健機構(WHO)と国際原子力機関(IAEA)などが、健康への影響を調べまとめた「チェルノブイリの遺産」が発表された。それによると事件発生から20年間で放射線の影響で亡くなった人は47名となっている。子供の甲状腺がんの患者は、事故から10年目までは800人であったが、20年目の調査では5倍の4000人に増加し、9名が亡くなってしまっている。
また白血病などの他の病気については、増えていることが確認されていない。
事故と国際社会
チェルノブイリ事故によって放射性物質は世界各地に広がり、国際社会に深刻な影響を与えた。ヨーロッパの国々では乳製品や肉、野菜、くだものに至るまで日常的に食べるものが大きな被害を受けた。日本でもトルコ産のヘーゼルナッツやイタリア産のアーモンド、フランス産のきのこなどに含まれる放射線物質の量が基準値を超えていたため送り返すなどの対策がとられた。さらにヨーロッパでは国内にある原子力発電所を廃止する国も現れた。オーストリアでは事故から1ヵ月ほどで原発の廃止を議会で決定した。イタリアでは事故から1年後に国民投票を行い、原子力発電所の運転、建設の禁止が決定された。ほかの国々でも原子力発電所に対して不安や疑問を持つ人が多くなり、反対する声が高まった。
参考文献
高木仁三郎(1986)『チェルノブイリ最後の警告』七つ森書館
Web検証 https://www.jaero.or.jp/data/02topic/cher25/summary5.html
H.N とまと