チャップリン
出典: Jinkawiki
チャップリンの本名は、チャールズ・スペンサー・チャップリン。
1889年4月16日から1977年12月25日 の約一世紀を駆け抜けた。 出身はイギリス はロンドン ウォルワース である。ミュージックホールの芸人だった両親のもとに生まれたこともあり、 才能に恵まれ、俳優、監督、製作者、脚本家、作曲家、編集者 とさまざまな顔を持っていた。 代表作として、『キッド』(21年)『独裁者』(40年)『ライム・ライト』(52年)などが挙げられる。
また、「喜劇王」と呼ばれている。作品を見れば、誰もがチャップリンのパントマイム(無言劇)のうまさに唸ってしまうだろう。 チャップリンだけが喜劇王と言われているのにはワケがある。チャップリンの喜劇が、ただ人を笑わせるだけではないからである。 ユーモアの中に愛と怖さがある。ときにはギャグの中に批判的な社会メッセージが込められていることもある。 チャップリンは自分のパントマイムだけを信じて、それをずっと貫き通していた。 そこに彼の作家性があり、喜劇王たるゆえんがあるのである。
そして、不滅のスターでもあるだろう。映画史上でチャップリンほど人々に愛された映画人はいない。名作は 多くの人々に愛することと生きることを教えてくれた。チャップリンの映画は、映画のあるべき姿形をしていた。 彼亡き後も、彼の映画は、朽ちることなく、今も輝き続けている。
さまざまな顔を持つチャップリンは、完璧主義者でもあった。チャップリンは優れた映画プロデューサーで、 製作から監督・脚本・主演そして音楽まで何もかも自分でやっていたのである。自分の会社を興してからは、 気に入るまでじっくりシーンを撮り直すという徹底ぶりで、業界随一の完璧主義者と言われるようになっていった。
チャップリンといえば、ちょび髭、山高帽、だぶだぶのズボンにステッキを持った姿が印象的だが、これは彼を1911年に ニューヨークのミュージックホールで上演されたチャップリンの舞台で見出した喜劇監督のマックス・セネットに面白い格好を してくれと頼まれたことにはじまる。 そして、『ヴェニスのベビー・カー競争』(14)に出演、私たちの最も印象に残っている有名な浮浪者スタイルを完成させる。 彼が作り上げたみすぼらしい浮浪者が繰り広げる悲喜劇は世界中の観客から絶大な人気を獲得し、「リトル・トランプ(小さな浮浪者)」の 愛称で親しまれ、浮浪者役はチャップリンのトレード・マークとなる。
1950年前後、第2次世界大戦の戦勝に沸き立った後、ジョセフ・マッカーシー上院議員の推進した共産党員排除運動、 いわゆる「赤狩り」によってアメリカ映画界が大きく揺さぶられた。戦争そのものを否定し、また、戦争の名のもとに大量殺戮を 正当化する国家を批判したチャップリンの作品によって、チャップリンは非米活動委員会から共産主義支持者とみなされる。 彼のこの政治的姿勢に対する大衆の不満から各地で上映中止が相次いだ。
こうして、思想抑圧の犠牲者となってしまったのである。