ドミノ理論3

出典: Jinkawiki

目次

ドミノ理論

ある地域において戦略的に重要な1国が共産主義化すれば、隣接諸国がドミノ倒しのように連続的に共産主義化することのなるという考え方。

発端

「ドミノ理論」という用語は、1954年アメリカ合衆国のドワイト・D・アイゼンハワー大統領とジョン・フォスター・ダレス国務長官が南ベトナムのゴ・ジン・ジェム政権への経済援助を正当化する際に初めて用いられた。その後は、発展途上国の急進的ナショナリズムを共産主義の浸透とみて、自由陣営の全面的後退を阻止するため積極的に介入するという冷戦的戦略の一環となり、アメリカ合衆国の東南アジアへの介入を擁護する理論的根拠となっている。

ドミノ理論の妥当性

ドミノ理論は約8年にもわたるベトナム戦争を続けた根底となる考えであった。戦後、社会主義のソ連・東欧諸国が、資本主義の西欧諸国に対し自己防衛のために障壁を作る(鉄のカーテン)、中華人民共和国が誕生する、朝鮮半島が南北に分かれるといった情勢だった。そして、1960年代に入るとキューバで産業革命が成立するという危機的状況であった。そのような情勢の中ではドミノ理論は十分に妥当性があるといえただろう。

ベトナム戦争はアメリカの敗北で幕を閉じ、北ベトナムによる全土制圧で南ベトナムは社会主義化することになった。しかし実際にはその後の世界はドミノ理論の通りにはならなかった。ベトナム戦争を指導したアメリカ合衆国の中心人物であるアクナマラ国防長官は、ベトナム戦争の教訓の1つに「共産主義の脅威を過大評価した」と述べている。また、「われわれは正しいことをしようと努めたのですが、そして正しいことをしていると信じていたのですが、われわれが間違っていたことは歴史が証明している。」と述べている。ベトナム戦争を推進したマクナマラ国防長官自身が、ドミノ理論は「強迫観念」「ものの見方の誤り」だったと認めている。

参考文献

(『戦略の本質』 (野中郁次郎 他5名共著、日経ビジネス人文庫) 第7章 ベトナム戦争 より
ブリタニカ国際百科事典

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