フィリピンの文化と言語

出典: Jinkawiki

1,言語

フィリピンには言語の数が多い。おそらく100以上はあるだろう。「タサダイ族」なる石器時代人が発見されたというニュースが世界を駆け巡ったのは、十数年くらい前のことであった。言語から見てみればどう考えてます近隣のマノボ語の方言でしかないから、石器時代人はおおげさだと思っていたら、はたしてインチキらしいことがわかった。ところが1987年になってパナイ島に住む先住民ネグリトの言語「アティ語」というのが発表された。周囲のビサヤ諸語の影響を強く受けているもののそのいずれとも異なる新しい言語の発見である。この情報社会の世の中で、今まで人に知られることのなかった言語が見つかると言うのも嬉しい話ではないだろうか。フィリピンからはまだこれからもなにが発見されるか分からないという楽しみがある。

2.文化

フィリピンはアジアの二大文化である中国、インドの影響を受け長い間外国の植民統治下にもあった。中国文化が日常生活に大きな影響を与えたのは、中国人から伝えられたと言われているが、中国人が大量に渡ってくる16,7世紀に入ってからのことである。インド文化は東南アジア一円に伝播したが、当時、地理的辺境にあったフィリピン諸島への伝わり方は間接的で弱く、民間説話や語彙のなかにそのなごりが見られるにすぎない。14世紀になると、当時東南アジア一帯で活躍していたイスラーム教徒の商人によってもたらされた。スペインの植民地化が始まると、中国人、主に商人や職人が多数やってくるようなったが、フィリピン人女性と結婚したことによって、中国文化の影響は日常生活の隅々にまで浸透していった。今世紀に入り、アメリカ合衆国の植民地化が進むと、まず英語が教育、文化の言葉として、文学界、演劇界へと浸透していった。しかし、大衆をもっとも魅了したアメリカ文化は、映画とボードビルなどのショーである。印刷物の発行が盛んになり、雑誌、新聞などが手軽に大衆の手に入るようになった。しかし、もう一度ここでその一つ一つの文化の層を丁寧に見てみると、もはや中国、インド、イスラーム、スペイン、メキシコ、アメリカの文化はなにもない。イスラームもカトリックもしだいにフィリピン的解釈がほどこされ、舞踊の体の動きやリズムもフィリピン独特のものになり、料理もこの国の素材と風味に合うものに変わっていった。

参考文献 フィリピンの事典 石井米雄 鈴木静夫 早瀬晋三(著) 同朋舎出版 1992年4月20日


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