フレネ教育5
出典: Jinkawiki
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概要
概要 フレネ教育は、フランスの教育者セレスタン・フレネ(1896~1966)によって1920年代にはじめられた。出発は、「子供の生活、興味、自由な表現」で、印刷という方法を導入し、手仕事で芸術的表現、知的学習、個別教育、協同学習、協同的人格の育成を図る教育法である。現在もフレネ教育は、「現代学校運動」として発展し続けておりフランスの公立学校で約1割の教員が実施している。また、スペイン、ドイツ、ブラジルなどの諸外国にも広がっている。日本でも、フレネ教育を実践している団体があり、通常の学校教師でも授業にフレネ教育を取り入れている人がいる。
セレスタン・フレネ(1896~1966)
フレネ教育の創始者であるセレスタン・フレネは、1896年にガル(Gars)というイタリア国境に近いフランスの小さな村に生まれた。家が貧しかったことから中等学校へ行くことなく、高等小学校卒業後教師の資格を得た。フレネが18歳でニースの師範学校につとめていた時、第一次世界大戦が勃発し、従軍することとなった。そこで、ドイツの毒ガス兵器に喉と肺を侵され、70%肺を切除した。十分な声を出せなくなったフレネには、フランスの「教師がわんぱくの子供たちを力で支配する」といった伝統的かつ伝達本位の教育ができなくなった。したがって、子どもの生活、表現そのものを学習の中心とし、活路を見出す。 フレネは、教室に印刷機を備え付け子どもたちが綴った文を印刷し「自由な教科書」として使うことを考えた。彼は、理性意的共同体における人格の自己形成を目的とした教育学を、学習材と教育技術の土台の上に建設することを主張し、フレネ教育で行ってきた教育技術の裏付けを伴い教科書による一斉授業の廃止を提唱した。この試みは現在も「現代学校運動」とし今日も世界29カ国以上で実施されている。
特徴とシステム
フレネ教育の最大の特徴として「作文」を書き、それを「印刷」するということである。フレネ学校では、3,4歳から作文を書かせ、その中でフランス語を覚えていく。初めは教師が手助けをしながら取り組む。書かれた作文を自分でみんなの前で発表し、質問、感想、意見などがいわれる。そして、自分で書いたものが印刷され、他人に読まれていることに喜びを感じることから、自分の思いを表現することへの意欲がわくのである。 また、子どもたちは自由作文や詩の朗読、文法の説明の時間以外は、自身で決めた活動計画にそって自分のペースで学習する。分からないことは、先生に質問し個別で学習していくというスタイルである。自由作文は、毎日書くものとされているが強制ではなく、書かないと決めた日は別の作業をしてもよいことになっている。さらに、その自由作文を手掛かりにそれぞれの研究へとつなげ、発表するということも行われている。これは、「コンフェランス」と呼ばれる自由研究で、自由作文と同様にフレネ学校では重視されている。この自由研究は、親の協力を得て行い、発表する。コンフェランスでは、子どもが主体的に学ぶだけではなくその親も学ぶということが目的にある。
参考文献
多様な教育を推進するためのネットワーク http://altjp.net/classification/article/91
フレネ教育協会 http://www011.upp.so-net.ne.jp/freinet/
フレネ教育 http://www.jfreinet.com/education/main2.htm
国際教育論 太田和敬 http://www.asahi-net.or.jp/~fl5k-oot/kokukyo2010-2.pdf