フレネ教育9
出典: Jinkawiki
セレスタン・フレネについて
セレスタン・フレネとはフランスの教育者である。フレネは、師範学校在学中に、第一次世界大戦により、戦場へと送られた。そこで、毒ガスを吸ってしまい、肺機能障害者となったのである。この障害により、フレネは大きな声を出すことが困難になってしまった。それは、教師としては致命的であった。大きな声を出せず生徒を威圧できなかったことが原因で、フレネは、フレネ教育という多大なる革命をおこしたのである。
フレネ教育とは
フレネ教育とは、活字印刷機や、自由作文、アルバム作り、学校間通信を導入し、芸術的表現、知的学習、個別教育、協同学習を重視し、子ども達の人間性を養うことを目的とした教育法である。1920年に、フレネは南フランスの山の中の小さな学校に赴任した。そこで出会ったのは、既製の教科書に全く興味を示さず、学習意欲を失った子ども達であった。そんな子どもたちに対して、フレネが取り組んだのは「散歩教室」であった。午後の時間を利用して、小川や野原を歩いたり、かじ屋や指物師たちの仕事を見学したりした。そこで彼らは、今までの授業では感じられない興奮や活力、好奇心を抱くことができた。そこで、フレネは、散歩教室で発揮された好奇心や活力を、どのように学習の中に取り入れようと考えたところ、教室に印刷機を備えつけて、自由作文などを生徒同士で共有することにした。やがて、子どもたちが綴った分を印刷し、それを教科書にし「自由な教科書」として使用することを考えたのである。
フレネ教育の特徴
フレネ教育の特徴として5つあげられる。まず第一に、異年齢の子ども達が学びあることである。通常の学校は年齢ごとに学年が分けられている。しかし、南フランスのヴァンスにあるフレネ学校は、約60人の生徒のうち3~5歳、6~7歳8~11歳が中心の3つのクラスである。異年齢の生徒が同じ教室で学びあうことにより、お互いを思いやる気持ちが自然とうまれるのである。第二に、3歳からの文章表現である。フレネ教育の大きな柱の1つである作文は、子どもたちが自由に表現したいことを文章にしていく。はじめは、先生に補助をされながら取り組む。作文が完成されると、それをみんなの前で発表し、意見が飛びあう。発表する行為は、アイデンティティーの確立する課程にも繋がるのである。また、他人に自分の気持ちをきちん表現しようという意欲がわいてくる。第三に、活動計画表にそって学習することである。子どもたちは、作文や、詩の朗読や、文法の説明のとき以外は、自分でつくった活動計画表にそって学習を自分で進めていくのである。わからないところは先生に質問し、基本的に個別で学習をしていく。第四に、多くの意見交換の機会がある。フレネ学校では、「朝の会」「帰りの会」「親子の研究発表会」「全校集会」などがあり、よく意見交換をおこなっているのである。議長は子どもで、先生も参加する。第五に、子どもを尊重しプライドを傷つけないことである。フレネ学校の先生は、子ども1人1人を尊重し、子どもの中にある欲求を最大限に引き出すことに重点をおいている。
参考文献
セレスタン・フレネ http://www.jfreinet.com/education/main2.htm
フレネ教育実践の概要と特質 http://www.fureai.or.jp/~katsumi/paper/html/Part1-Chap3.htm#
多様な教育を推進するためのネットワーク http://altjp.net/classification/article/91
投稿者 mh