マザー・テレサ2
出典: Jinkawiki
概要
修道女。旧ユーゴスラビア(現マケドニア)のスコピエ出身。幼名はアグネス・ゴンジャ・ボヤージュ。1928年アイルランドのロレット修道会に入り、志願してインドに渡る。29~48年カルカッタ(現コルカタ)のセントメリー高等学校の教師、校長を務める。46年神の召命を受け「貧しい人のなかでもいちばん貧しい人たちのために一生を捧(ささ)げる」ことを決意する。48年インド国籍を取得、ロレット修道会を離れ、ひとりでカルカッタの貧民街で活動を始める。50年「神の愛の宣教者会」女子修道会を創立、以来「マザー・テレサ」とよばれる。「死を待つ人の家」「孤児の家」「救癩(らい)活動」の施設をインド各地に展開、79年ノーベル平和賞を受賞する。インドのみならず世界各地に施設を広げ活躍した。81年(昭和56)初来日。97年9月5日心臓発作のため死去、13日カルカッタ市内で国葬、遺体は修道会本部に埋葬された。2003年福者(聖人の次位者の称号)に列せられた。
経歴
1910年 0歳 8月26日、現在のマケドニアのユーゴスラビアで生まれる。
1919年 9歳 父ニコラが亡くなる。
1928年 18歳 10月、アイルランドのロレット修道会に入会する。
12月、宣教のため、インドのダージリンに向かう。
1931年 21歳 5月、ロレット修道会修道女として初めて誓いを立て、修道名をシスター・テレサとする。
1937年 27歳 5月、修道女として最後の誓いを立てる。カルカッタの聖マリア女学校の地理と歴史の教師をした後、校長となる。
1946年 36歳 ダージリンに向かう汽車の中で、神のお告げを聞き、貧しい人々のために働こうと決意する。
1948年 38歳 8月、ロレット修道会を退会し、パトナのアメリカン医療宣教修道会で、4か月間の医療集中訓練を受ける。
12月、カルカッタに戻り、スラムで最初の学校を開校する。この頃、国籍をインドに移す。
1950年 40歳 10月、修道会「神の愛の宣教者会」を設立し、同会の総長となる。この時から「マザー・テレサ」と呼ばれるようになる。
1952年 42歳 カルカッタ市内のカーリー寺院(ヒンズー教)に中に「死を待つ人の家」を設ける。
1955年 45歳 恵まれない子供たちの施設「聖なる子供の家」をつくる。
1957年 47歳 ハンセン病患者の巡回診療を始める。ハンセン病患者の療養施設「平和の村」をつくる。
1971年 61歳 ヨハネ23世平和賞を受賞する。
1975年 65歳 学校・病院・作業所を持つ総合センター「プレム・ダン」をつくる。
1979年 69歳 ノーベル平和賞を受賞する。
1981年 71歳 4月、初来日し、多くの会合や講演会に出席する。(その後、82年、84年にも訪れる)
1997年 86歳 3月、病気のため、神の愛の宣教者会の総長を引退する。新総長にシスター・ニルマラが選ばれる。
87歳 9月5日、心臓発作のため亡くなる。
参考・引用
『マザー・テレサ』 沖守弘 監修 小学館