マヤ文明

出典: Jinkawiki

まず、「マヤ民族」という単一民族は、過去にも現在にも存在しない。「マヤ」という名称は実は外国人が名付けた他称である。共通の「マヤ語」は存在せず、言語学者がマヤ諸語と分類するのは30ある。

先スペイン期は、「石期」、「古期」、「先古典期」、「古典期」、「後古典期」の大きく5つに分けられる。「先古典期」には、土器が出現して、農耕を基盤にした定住村落が確立し、マヤ低地南部のエル・ミラドールやマヤ高地のカミナルフユなどで神殿ピラミッドをもつ都市文明が興亡した。「古典期」には、マヤ低地を中心にマヤ文字の碑文が刻まれた石碑や多彩色土器などを伴う宮廷文化が栄え、都市を中心とする初期国家群が興亡した。古典期終末期にマヤ低地南部の多くの都市が衰退し、マヤ文明の中心がマヤ低地北部とマヤ高地に移った。マヤ文明は、ユカタン半島を中心とする地域に栄えた文明で、他のメソアメリカ諸文明や南米の古代アンデス文明とともに、コロンブスがアメリカ大陸を「発見」するまで、旧大陸の諸文明と交流することなくアメリカ大陸中央部で独自に発展した、モンゴロイド先住民の土着文明のひとつであった。それは、メソアメリカ南東部、現在のメキシコ南東部から中央アメリカ北西部(ベリース、太平洋岸低地以外のグアテマラ、およびホンジュラス西部)に興隆した。時代区分でいえば、日本の縄文時代晩期から室町時代とほぼ同時期に当たる。しかし、この文明は、石器時代、青銅器時代、鉄器時代という順で発展した旧大陸の四大文明のように金属利器が実用化されず、古代アンデス文明と同様に、鉄はいっさい使用されていなかった。金、銀、銅製の装飾品・儀式器が他から搬入され始めたのは、9世紀以降であった。主要利器は石器であり、その他の日常生活の道具は、木、骨、角などで製作された。

 古代マヤ人は、世界の他の古代文明と同様に農耕を生業の基盤としながらも、利器としての貴金属、荷車、人や重いものを運ぶ大型の家畜を必要としなかった。彼らは、石器を主要利器として不自由なく生活し、「新石器段階」の技術と人力エネルギーによって、都市文明を築き上げた。そして、先コロンブス期のメソアメリカだけでなく、南北アメリカ大陸で文字、算術、暦、天文学をもっとも発達させたのである。さらに、古代マヤ人は古代インダス文明と同様にゼロの概念を独自に発明したり、ピラミッドも建設した。また、マヤの宗教は、生活のすべての面に浸透し、日本の八百万の神と同様に多宗教であった。マヤ人は主食のトウモロコシに加え、豆類、カボチャ、唐辛子、マニオクなどの根菜、カカオ、アボカド、パパイヤやアカテツの身といった樹木作物などが食された。

マヤ低地南部マヤ文明の古典期マヤ文明衰退の直接的な要因として最も重要視されているのは、①人口超過②環境破壊③戦争であると言われている。


参考文献

・青山和夫著,『マヤ文明』,岩波新書

・青山和夫著,『石器の古代マヤ都市文明』,京都大学学術出版会


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