中東戦争10
出典: Jinkawiki
中東戦争 第二次世界大戦後、パレスチナへのイスラエル建国によて、アラブ人とユダヤ人の対立は深刻となり、1970年代初頭までにアラブ側はエジプトを盟主としてイスラエルとの4次にわたる戦争を展開した。
第1次中東戦争 1948年、国連はパレスチナ分割案を提示し、解決を図りそれを受け入れたユダヤ人がイスラエルを建国したが、その分割はアラブ人側に不利であったため、アラブ連盟が反発し、パレスチナ戦争(第一次中東戦争)が勃発することとなった。戦争は全面的なイスラエルの勝利となり、イスラエルは事実上、パレスチナを占拠して国家を建設した。敗れたアラブ諸国は、王政や豪族連合体の諸国で、戦闘能力も結束力も弱いことを露呈した。そのことはアラブ側に深刻に受け止められ、まずエジプトで自由将校団による王制打倒のエジプト革命が行われて共和政となり、イラクにも波及、アラブ側にも大きな転機となった。こうしてパレスチナ問題はパレスチナにとどまらず、イスラエル(及びその背後の英仏、アメリカ)対アラブ諸国の中東全域を舞台とした戦争に発展していく。
第2次中東戦争 1956年の第2次中東戦争は、エジプトのナセル大統領がスエズ運河国有化を宣言したところから、イギリス・フランスがイスラエルと共にエジプトを攻撃し、イスラエル軍はシナイ半島を占領した。エジプトは戦争では敗れたが、国際世論はアメリカもイギリス・フランスを非難し、ナセルがアラブ世界の英雄として登場し、以後のアラブ勢力はナセルを中心に展開される。
第3次中東戦争 国際世論がアラブよりになり、英仏も直接的にイスラエルを支援できなくなると、イスラエルはみずから空軍など軍事力の強化に走り、1967年の第3次中東戦争を仕掛け、6日戦争と言われる短期間に、シナイ半島・ヨルダン川西岸・ガザ地区などを占領する一方的勝利を収めた。これでナセルの権威は失墜し、間もなく死去した。
第4次中東戦争 ナセルに代わったエジプトのサダト大統領は、1973年にイスラエルに対する奇襲攻撃を成功させ、世界を驚かせた。この第4次中東戦争では、緒戦においてはじめて敗北したイスラエルは間もなく反撃したが、今度はアラブ諸国が「アラブの大義」を掲げて結束し、石油戦略を展開、有利な休戦に持ち込み、シナイ半島のエジプトへの返還の見通しとなった。しかし、ガザ地区やヨルダン川西岸にはイスラエル人の入植が進み、そこからの撤退は認めなかった。 参考文献 山崎雅弘「中東戦争前史」