仏教3

出典: Jinkawiki

仏教の創始者であるゴータマ・シッダッタは、お釈迦様、釈尊、ブッダ(仏陀)など様々に呼ばれる。ブッダとは悟った人(覚者)の意味で、釈尊とは釈迦族の聖者という意味である。また、個人名であるゴータマとは「最良の牛」という意味である。ブッダの伝記が文字に示されるのは、没後数百年たってからであるために、その一生については確かな事実を知りえるわけではない。 ブッダは、釈迦族の王子として生まれ、結婚し、一子を設けたが、29歳の時出家した。ある日、城の東門で老人に会って、老いの苦を知り、南門で病人に会って病の苦を知り、西門で死人を見て死の苦しみを知る。そして、北門で出家修行者に出会い、その崇高な姿にうたれて、出家を決意したというものである。はじめ、他の修行者にならって6~7年間苦行をするが、悟りを得られず、ひとり静かに坐って瞑想を行い、35歳の時悟りを得た。そして「如来」と称した。修行を完成した人という意味である。悟りを得たのが12月8日であるとされ、これを記念するのが成道会である。それから80歳で死ぬ(入滅)まで、各地で自分の悟った教え(法)を人々に説いてまわった。

ブッダの悟った内容は15種類ほどある。その中で、代表的な説は、四諦八正道を悟ったというものである。四諦八正道とは、4つの真理とそれを得るための8つの正しい道である。 4つの真理とは、具体的には、苦諦、集諦、滅諦、道諦である。人生の現実は自分の思い通りにならず、苦である(苦諦)。その苦は煩悩やもろもろの欲望から生ずる(集諦)。それらの欲望を滅することで、悟りが開かれる(滅諦)。そのためには、正しい実践を行わなければならない(道諦)。そして、その正しい実践が八正道である。それは、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。人生が苦に満ちている(一切皆苦)というのは、仏教の基本的な教えである。それは、四苦八苦として示されている。四苦とはだれも逃れられない生老病死の4つの苦しみである。また、これに愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦の4つをあわせて八苦となる。愛別離苦は愛するものと別れる苦しみ、怨憎会苦は憎むのもと会う苦しみ、求不得苦は求めても得ることのできない苦しみ、五陰盛苦は感覚や想念などにとらわれることによる苦しみということである。また、三法印として示された教えが諸行無常、諸法無我、涅槃寂静である。諸行無常はすべて常なるものはないという教え、諸法無我は固定的な我はないという教え、涅槃寂静は悟りの絶対的な静寂を意味している。

ブッダはクシナーラーという地の林の中で、一対の沙羅樹(沙羅双樹)の間で頭を北にして右脇を下に、両足を重ねて横臥して入滅したと言われている。この姿は「頭北面西右脇臥」と呼ばれる。死の直前まで、ブッダにつき従っていた弟子、あるいはブッダの死後の仏典編纂に携わった弟子は500人いたとされ、五百(阿)羅漢と呼ばれる。ブッダは弟子たちに「遊行せよ。法を説け。同じ道を行くなかれ」と説いていたので、弟子たちは各地を巡って教えを広めた。

ブッダが死んだ直後、彼が説いたことが間違って伝わることを恐れた弟子のマハーカッサパが正しい教えと戒律がずっと守られるようにと、マガダの都ラージャグリハ(王舎城)の城外にあった精舎で集会を開いた。こうしてブッダにより説かれた真の教え(法)と守るべき戒律(律)とが、弟子や信者たちに共有されることとなったが、その内容は文字化されたわけではなく、口頭で伝えられた。ブッダが死んでから、100~200年たった紀元前3世紀のアショーカ王の時代に、仏教教団に分裂が起こり、それぞれの部派は、独自の論・教義(アビダルマ)を作り上げ、互いに論争を繰り広げた。こうして出来上がった部派の全体を上座仏教、あるいは部派仏教と称する。紀元後インドに興り、やがて中国を経由して東アジアへ広まった仏教の流れは、大乗仏教や北伝仏教と呼ばれる。

のち、日本にも仏教が伝えられ日本でも仏教は広まっていくこととなる。


参考文献

・井上順孝著,『図解学説 宗教』,ナツメ社

・ひろさちや著,『面白いほどよくわかる 世界の宗教/宗教の世界』,春秋社


  人間科学大事典

    ---50音の分類リンク---
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                          
                  
          

  構成