加曾利貝塚
出典: Jinkawiki
千葉県千葉市若葉区桜木町にある縄文中期・後期の大貝塚。
都川の支谷に面する標高30mの洪積台地に、南北二つの貝塚が8の字形に相接して存在する。 南貝塚の形状は馬蹄形で直径は170m、北貝塚の形状は環状で直径は130mである。 この形状のために、加曾利貝塚は普通の大型貝塚の二倍もの大きさを呈している。
構成要素としては海産貝類が主であり、この種の貝塚としては最大規模を誇る。
また、加曾利E式(E地点の土器を標識とする関東中期後半の土器型式。普通Ⅰ~Ⅳ式に細分される)、B式の二つの土器型式が設定されたことでも名高い。 発掘者は山内清男(やまのうちすがお)。大正期に中期の加曾利B式土器を設定、縄文土器編年研究の進展に寄与した。 縄文中期は、粘土層を使った立体的文様が流行したとされる。 その一方で、後期から晩期の土器は、形は様々であるが、文様としては平面的で連続的な区画文様が多く見られる。 加曾利E式、B式。これら2型式の土器は関東一円の縄文遺跡から広く出土し、縄文中期から後期にかけて縄文土器の変遷過程が明らかになったと云う。 これら縄文土器などから、加曾利貝塚は、今から約7,000年前から2,500年前まで続いた縄文ムラであったと考えられている。
加曾利貝塚は明治期に日本最大の貝塚として喧伝され、一躍その名を広めた。 1960年代には開発による破壊の危機にさらされたが、保存運動の展開により ほぼ全域が保存され、野外博物館として整備・公開されている。 国の史跡として指定され、公園として保存されている面積は約134,000㎡。 クリ・クヌギなどの自然林が繁り、又地形も当時のままを残しているという。 その上には博物館や資料館なども設けられ、歴史家のみならず市民・観光客にも親しまれている。
縄文時代の貝塚は、日本全国で約1100ヵ所残っているが、その約半分にもあたる560ヵ所が千葉県に集中し、千葉市内だけでも110ヵ所を数えることができる。 東京湾沿岸は、日本最大の貝塚密集地帯だといわれている。
参考文献
今村啓爾 2002 縄文の豊かさと限界 山川出版社
三浦茂一 1989 図説千葉県の歴史 河出書房新社