宗教12

出典: Jinkawiki

○宗教の定義  宗教の定義は多種多様であり、俗に「宗教学者の頭の数ほどもある」などと言われているが、それくらい宗教とは何かという問いは厄介であるということである。  宗教についての見方を大きく分けると、社会的な組織や制度あるいは文化の一種として考える立場と、人間の心のあり方の特徴として捉える立場の2つがある。社会的文化的な問題として考えると、教会、寺院、神社などの具体的な組織を通して営まれる。一方、心の問題として考えると、神、仏、精霊、祖霊などと表現されるような、人間を超えた存在(超越的存在)を実感したり、それとの交流を求めたりする人間の心のありようがそうである。


○宗教の起源  人間と宗教も関わりははるか昔にさかのぼる。1859年に、ダーウィンの『種の起源』が刊行され、進化論は西洋の学界でブームとなったが、社会や文化も進化するという発想は宗教にも及んだ。宗教も原始的なものから、高度の一神教まで発展したと考えられる。18世紀後半に、アフリカの宗教を研究したド・ブロスは超自然力をもった呪物を崇拝するフェティシズムという考えを出し、ヨーロッパでは、これが原始宗教の特徴のようにみなされた時期があった。またインドの神話研究などで知られるマックス・ミューラーは、古代人の太陽や月の運行雷や嵐など自然現象に対する解釈が神話に反映していると考えた。イギリスの学者タイラーは、アニミズムの説を唱えた。アニミズムとは、霊魂、精霊の存在への信仰である。タイラーの弟子のマレットは、生命力や超自然的な力(マナ)といったものへの侵攻がより古いとして、これをプレアニミズムと名づけた。さらに北米先住民などに見られるトーテミズムなども考えられた。しかし、あるひとつの原始的な形態からしだいに進化した宗教形態が出てきたという考え方は、今日では支持されなくなっている。   宗教の教え、民族の歴史などがこめられた聖なる書を聖典・教典という。教典とはそれぞれの宗教の教えが記された書である。神聖な書という側面を強調するときは聖典と呼ばれる。また仏教では、教典あるいは仏典といわれる。世界宗教(キリスト教、イスラーム、仏教)には当然教典ないし聖典がある。キリスト教には『旧約聖書』『新約聖書』、イスラームには『クルアーン(コーラン)』、仏教には数多くの経典があるが、なかでも多くの経典を集成した『大蔵経』が有名である。  民族宗教でも教典・聖典をもつことがある。ユダヤ教では『トーラー』『タルムード』があり、道教では『大蔵経』に対抗して作られた『道蔵』という教典がある。バラモン教では『ヴェーダ』、ヒンドゥー教では『ギータ』が聖典である。また世界宗教以外の創唱宗教でも独自の教典を持つ。ゾロアスター教の『アヴェスタ』がその例である。日本の新宗教にも教祖の教えや言行録など、独自の教典としてまとめたものが少なくない。天理教の『おふでさき』『みかぐらうた』などがある。  教典の内容は多様である。神の啓示、神々への賛歌、民族の神話や伝承、創始者の教えやその言行録、戒律等々である。とくに古代の教典は、そこに民族が築いた制度や文化といったものが凝集されているので、宗教的内容に限らず、文化一般、法律、経済、社会的習慣といった幅広い内容のものを含んでいるのがふつうである。教典・聖典のうち、とくに重要な部分や親しまれる部分は、民族あるいは信者たちによって記憶され、暗誦されたりすることが多い。  民族の歴史のなかでいつしか伝統となり、信仰となったものを民族宗教という。民族宗教は創始者や起源が明確ではなく、民族の形成のなかでいつしかできあがった信仰の形態であり、それぞれの民族が伝えてきた神話や伝承、社会的儀礼や慣習となった行為を含んでいる。民族宗教では神話が重視され、祖先崇拝、シャーマニズム、自然崇拝、アニミズムといった信仰形態が多く見られる。ただヨーロッパによる植民地、占領、移民のどを経験した国の民族宗教には、古くからの形態が変わったり、失われたりしたものが多い。  民族主教のなかには、民族を越えて広がるものがあり、一種の世界宗教的性格を見せるのである。これはその民族の文化自体の影響力の大きさと考えることができる。ヒンドゥー教は、インド以外にも南アジア、東南アジアに広まり、ヒンドゥー・仏教文化というものが伝えられた。  明確な創始者がわかっている独創的な宗教を創唱宗教といい、代表的なものとして、キリスト教、イスラーム、仏教などがある。創唱宗教は、その宗教は生まれた地域に存在した宗教から多くの影響を受ける、仏教やジャイナ教はバラモン教から、キリスト教はユダヤ教から、イスラームはアラブの民族宗教やユダヤ教とキリスト教から、という具合である。創唱宗教は伝統的宗教と断絶しているわけでなく、むしろそれらのイノベーションとして理解できる面が多い。  生活・民族のなかにとけこんだ宗教を民族宗教・宗教習俗という。初詣、七五三、神前結婚式、墓参りなどがあげられる。生活の中に深くとけこみ、人々にとってあまり宗教という意識もなく、伝えられてきた宗教である。年中行事とは、一年の季節の変化のなかで、その社会の儀礼として行われるものである。例えば、初詣、節分、節句、七夕、大祓などがそれにあたる。また人生儀礼は通過儀礼ともいわれるが、誕生、成人、結婚、葬式など人生の重要な節目に行われる。このような儀礼を通して、自然の恵みに感謝したり、新たな力を得たり、家族や共同体の繁栄を願ったりするのである。それはごく自然な感情であるので、世界宗教にあってもしだいにそうした習俗的な面を発展させていくのが普通である。キリスト教のクリスマスなどはその典型である。クリスマスツリー、サンタクロース、贈り物の交換など、初期のキリスト教にはなかったものが、どんどん付け加わってゆき、一般的にはそれがクリスマスを特徴づけるものになっている。  呪術には法則があるのではないかと考えたのはフレーザーであり、彼は呪術を類感呪術、感染呪術とに分けた。呪術もうち、とくにタブーと呼ばれるものがある。ある人物、事物などを避けるべきもの、危険なものとみなして、接触を禁じたり、特定の行為を禁じるもので、その禁則をタブーという。これを破った者は災いがもたらされ、場合によっては死に至るとされる。世界の民俗を比較した場合、タブーとされやすい人物としては、王、戦士、殺人者、妊娠中や生理中の女性などがあげられる。呪術は宗教とは一応区別されるが、実際にはどこに線を引くのか難しい。教会での祈りは宗教であり、呪文を唱えるのは呪術といった理解が普通である。  シャーマニズムは、神々や祖霊、精霊などと人間をとりもち、病気を治し、予言などの呪術的―宗教的な行為をするシャーマンを中心とする宗教形態である。古代から存在し、現代世界においても広い地域において見出される。以前は、もっぱら北アジア・極北地域に見られると考えていたが、現在では全世界的に存在する、むしろ普遍的宗教形態とみなされるようになっている。シャーマンという語は、もともとはツングース語や満州語の「サマン」に由来するという説が有力である。日本で巫者、巫師、巫術師などと表現する。シャーマンは、神々などと直接的に接触・交流できる能力を持つと信じられている。 シャーマンと神々などとの接触・交流の形態に関しては、脱魂型(エクスタシー型)、憑依型(ポゼッション型)の2つがあるとされる。いずれの場合も、シャーマンはトランス状態になり、日常的な意識や心理状態とは異なるものとなる。シャーマンと似た存在に、預言者、霊媒者、呪医、邪術師などがある。  宗教学者ベラーは、古代宗教を宗教の歴史的展開のひとつのタイプとして考え、宗教の歴史的及び社会的な展開を5段階に分けた。①原始宗教、②古代宗教、③歴史宗教、④近代宗教、⑤現代宗教である。原始宗教では、宗教は独自の組織をもたず、社会と身分化の状態にある。これに対し、古代宗教は社会に身分制度が生まれ、神々の世界にそれが反映されるという特徴をもつ。この考えでは、古代宗教は独自の共同体をもたないことになるが、マニ教、ゾロアスター教、ミトラス教などは、信者組織と呼べるものをもっていた。仏教、キリスト教、イスラームといった世界宗教の影響を受ける以前に、それぞれの地域に形成されていた体系だった宗教と考えることができる。古代宗教には世界宗教の影響を受けて変容したり、消滅したものや、世界宗教に影響を与えた場合もある。古代宗教は予想以上に整った教えや組織をもっていたことが、しだいに明らかにされてきている。



参考:図解雑学 宗教 最新版 井上順考 ナツメ社


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