寛政の改革2
出典: Jinkawiki
・寛政の改革
・1787年~1793年
・1787年に白河藩主から老中になった松平定信は田沼意次の政治を批判、祖父・吉宗による享保の改革を目標として、寛政の改革に乗り出す。各地に社倉・義倉を建てて米などをたくわえさせる囲米の制や、出稼ぎを制限して農村復興に着手したほか、正業を持たない者に旅費を与えて農村へ帰ることを奨励した旧里帰農令の発布や町人用の節約分の70パーセントを積み立てさせた七分金積立の制度化など、都市政策も積極的に行った。また、洒落本の山東京伝や黄表紙の恋川春町の弾圧をはじめ、男女混浴の禁止などによって、民衆統制政策を打っていく。それから、朱子学以外の学問を異学とした寛政異学の禁を出し、思想統制もおこなった。
・内容
(1) 農村復興
(2) 社会政策
① 囲米の制→社倉・義倉
② 七分金積立(町人用の節約分の70パーセント)
③ 人足寄場・・・石川島
(3) 風俗取締・・・山東京伝・恋川春町処罰
(4) 思想統制
① 寛政異学の禁
② 林小平処罰
(5) 財政政策
① 倹約令
② 棄損令・・・旗本・御家人救済
(6) 尊号一件・・・家斉対定信
・寛政の改革は、享保の改革を模範とする復古的理想主義の政治によって幕府財政の立て直しとともに、天明の飢饉で荒廃した農村の復興をめざした。しかし、厳しい倹約や制約は逆に民衆の反感を買う結果となってしまう。
参考・・まるわかり日本史 須藤公博 http://www.geocities.jp/sou_nihonshi/kanseinokaikaku.htm
http://www.fsinet.or.jp/~h-arita/sharaku4/shiryo/kansei.html