尖閣諸島2

出典: Jinkawiki

目次

概要

尖閣諸島とは、沖縄県八重山列島の北約160km,北緯26゜,東経124゜付近にある島群であり、石垣市に属する。南西諸島西端に位置する魚釣島,北小島,南小島,久場島,大正島,沖ノ北岩,沖ノ南岩,飛瀬などから成る。

1968年秋に行われた国連機関による調査の結果、東シナ海に石油が埋蔵している可能性が指摘される。その後1970年代から中国が尖閣諸島の領有権を主張し始め、日中間での領有権を巡る争いが起こっている。


領土問題

日本の主張

  • 明治政府は1885年からの再三にわたる現地調査の結果、無人島ということだけでなく、清国による支配が行われている痕跡がないことを慎重に確認しており、その上で1895年1月14日に閣議決定し、正式に日本の領土に編入した。その後明治政府は以前から国有地借用願を出されていた民間人に事業を行う許可を下し、それに基づき民間人は尖閣諸島に移民を送り、鳥毛の採集,鰹節の製造,珊瑚の採集,牧畜,缶詰製造,燐鉱鳥糞の採掘等の事業を経営していた。このことから、日本の有効な支配が及んでいたことがわかる。
  • 日本は,サンフランシスコ平和条約第2条により,日本が日清戦争によって中国から割譲を受けた台湾及び澎湖諸島の領有権を放棄したが,1895年4月締結の下関条約第2条に基づき,尖閣諸島はここにいう「台湾及び澎湖諸島」に含まれていない。
  • 尖閣諸島は,サンフランシスコ平和条約第3条に基づき南西諸島の一部としてアメリカ合衆国の施政下に置かれ,1972年5月発効の琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(沖縄返還協定)によりわが国に施政権が返還された地域に含まれている。
  • 中国は,1953年1月8日人民日報記事「琉球諸島における人々の米国占領反対の戦い」には、琉球諸島は尖閣諸島を含む7組の島嶼からなる旨の記載があり,尖閣諸島が琉球諸島の一部であることを認めている。


中国の主張

  • 1560年前後に中国で刊行された「籌海図編」や「日本一鑑」に尖閣諸島が福建省や台湾の一部と読み取れる記述があり、すでに明(1368~1644年)の時代に中国の台湾に付属する諸島だった。
  • 日清戦争(1894~95年)に乗じて日本が不当に尖閣諸島を奪った。
  • 1943年「カイロ宣言」と1945年「ポツダム宣言」により、閣諸島は台湾の附属諸島として,台湾とともに中国に返還された。
  • 中国を排した状態で締結されたサンフランシスコ条約では、アメリカの施政下に置かれる南西諸島に尖閣諸島は含まれていなかった。1953年12月にアメリカ政府が「琉球諸島の地理的限度」を発表し無断で管轄範囲を広げ、その結果「沖縄返還協定」で日本に返還された地域に尖閣諸島が組み込まれた。


参考資料

外務省「日中関係(尖閣諸島をめぐる情勢)」http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/senkaku/
外務省「尖閣諸島に関するQ&A」http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/senkaku/qa_1010.html#qa11
尖閣諸島とは-コトバンクhttp://kotobank.jp/word/%E5%B0%96%E9%96%A3%E8%AB%B8%E5%B3%B6
尖閣諸島領有権、日本の主張と中国の主張http://matome.naver.jp/odai/2134536780334484101


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