忍者

出典: Jinkawiki

目次

概要

忍者とは、鎌倉時代から、江戸時代の日本で大名や領主に仕え、暗殺や、諜報活動を仕事としていたとされている個人もしくは、集団の名称。武士や足軽といった身分の立場とは、また別の立場であった。 忍者は日本国内各地で集団を形成しており、なかでも、伊賀と甲賀が有名である。忍者は、上忍、中忍、下忍に身分が分かれていた。甲賀では中忍が最高位だったとされている。また、実際に各地の戦国大名たちに雇われていたのは、下忍だったと言われている。 忍者は様々な特殊訓練を行い、特殊な道具なども所持しており、この道具を「忍具」、逃走術を含む種々の技術を「忍術」と呼ぶ。忍術は密教、陰陽道や、修験道の行者が用いた術(九字護身法、山嶽兵法など)とも関係があるとされ、現代に伝わる古武術には忍術の名残りが見られるものもある

徳川幕藩体制下

伊賀忍者は本能寺の変の際に、堺(現・大阪府堺市)の見物に訪れていた徳川家康を護衛して伊賀越えを行なったことから、徳川幕府に召抱えられるようになった。中でも服部半蔵は重用され、江戸城の城門の一つにその名が付けられ、現在も東京の地名「半蔵門」として残っている。彼らは、徳川幕府のために諸大名の内情を探るだけでなく、江戸城下の世論調査、大奥の警護、空き家となった諸屋敷の管理なども担当し、同心として江戸城下の治安の警護に当たった


松尾芭蕉忍者説

江戸時代の諸国を行脚していた俳諧師・松尾芭蕉は、現在の三重県伊賀市に当たる地方の出身者だった。そのため、松尾芭蕉は実は忍者あるいは隠密だったのではないかとする説があり、小説などでも題材に扱われている。その根拠として、芭蕉の著書奥の細道の記録どおりに旅行したとすると、一日数十キロ歩かなくてはいけない計算になり、普通の47歳ならば体力的に相当無理がある、などがあげられる


参考文献

『忍びと忍術』(雄山閣、2003年) 山口正之 『最後の忍者どろんろん』(新風舎、2004年、初版1958年) 藤田西湖 『忍術秘録』(壮神社、2004年) 藤田西湖


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