文化2

出典: Jinkawiki

<文化>

 人間の生活の様式の全体。人類が自らの手で築き上げてきた有形・無形の成果の総体。それぞれの民族・地域・社会に固有の文化があり、学習によって伝習されるとともに、相互の交流によって発展してきた。

1. 「国際国家」 日本の国際交流

 対外広報についても、1974年からは海外の有識層を対象に英文季刊誌Japan Echoが刊行され、在外公館を通じて配布されるようになった。一方、1970年代半ば頃からは、ASEAN諸国を中心に開発途上国に対して当該国の文化、教育の振興に寄与する援助協力が行われるようになった。無償文化協力や遺跡保存事業、ASEAN文化基金への拠出、奨学金制度の創設などがその具体的事業としてあげられる。日本社会の「国際化」、「国際国家・日本」への脱皮がスローガンとなった1980年代は、各種の文化交流事業や対外広報、文化面での途上国支援はいっそう重視され、外務省の機構改編とともに拡大・強大が図られた。竹下登首相は1988年5月にロンドンで発表した「国際協力構想」のなかで、「平和のための協力強化」「ODAの拡充」とともに「国際文化交流」を3本柱に掲げた。  翌年5月に総理懇談会「国際文化交流に関する懇談会」が公表した報告書は、従来からの日本語教育への協力、芸術文化交流などに加えて文化遺産保存協力の充実と基盤強化、知的交流強化、国際理解教育の推進、国際協力基金の基盤強化、国際文化交流推進体制の強化などを提言している。この最終報告を受けて内閣に設置された国際文化交流推進会議は、1989年度からおよそ5年間の国際文化交流強化のための政策を定めた「国際文化交流行動計画」を策定した。冷戦終結をはさんだ1980年代半ばにかけて、国際文化交流の強化は日本政府になかで不可逆的な潮流となった。


2. 「ソフト・パワー」  外務省が毎年発行する『外交青書』の筋立ては、対外広報や文化交流が対外政策としてどのように理解されているかをある程度表している。1987年度までは「文化交流及び報道・広報活動」の項目が立てられていたが、1988年度以降は「国際交流」または「国際文化交流」の強化や推進といった表現が選ばれるようになった。「国際」が冠されるようになったことが時代の空気を反映しているといえよう。これらは2004年度版で「海外広報と文化交流」という表現に替わった。2003年度までは国民に対する情報発信と諸外国における対日理解の増進はひとくくりで扱われていたが、両者が切り離されたのがこの年度である。「海外広報」が節のタイトルに入ったこととあわせて、対外広報戦略の重要性が高まったことを示している。なお翌年からは「文化交流」に替わって「文化外交」が、2008年度からは「海外広報」の替わりに「海外への情報発信」が用いられるようになった。「交流」というどちらかといえば状態を示すことばよりは政策として文化交流を位置づける意志がうかがえるであろうし、海外メディア戦略や観光振興も含んだ概念として「情報発信」が選ばれたのであろう。そして2010年年度以降は、「日本への理解と信頼に向けた取組」が立項されている。  転機となった2004年は、「パブリック・ディプロマシー」や国際政治学者ナイが提唱した「ソフト・パワー」の概念が初めて『外交青書』に登場した年である。強制または誘引によって他者の行動を変化させる「ハード・パワー」-もっぱら軍事力と経済力というかたちで行使される-に対して、「ソフト・パワー」は文化や価値の魅力、政策課題を設定する力などを通じて他者の選好を形成する能力と定義される。米国の同時多発テロとその後のアフガニスタンおよびイラク戦争、自衛隊のイラク派遣開始を背景に、ソフト・パワー論は日本外交においても注目されるようになった。グローバリゼーションの進展とともにさまざまな非政府組織や市民が外交活動に関与する機会が増大したことも、対象国の政府機関のみならず国民や世論に直接働きかける必要性を日本政府に認識させた。この年、海外広報と文化交流の目的は「国際社会に対して日本の外交政策や諸事情、文化の魅力を広く発信することにより、諸外国国民の日本に対する理解と信頼を高め、外交政策を推進する上での環境を整備する」ことにあると明確に規定されたのである。


3. 「クール・ジャパン」  「文化の魅力」の「発信」という局面でこのころから重視されるようになったのが、アニメ・マンガ、ゲームなどのポップカルチャーや現代アート、文学作品、食やファッションに代表される日本の生活文化を通じて日本への関心を高めようという試みであった。とくにアニメ・マンガが海外で若者を中心に高い人気を集めているという実態は、それらを現代日本の誇るべき「文化」としてとらえる視点を日本政府に定着させたように思われる。2000年代半ばごろから「クール・ジャパン」として注目を集める日本発のポップカルチャーや和食、ファッションなどを文化外交のツールとして各種文化事業を展開する傾向は顕著になった。国際漫画賞の創設や「アニメ文化大使」事業はその一例である。  各国との間で、節目となる年に「周年事業」として文化交流事業を実施し、友好関係の確認と相互理解の増進に取り組むという試みも、2000年代半ばごろから始まった。官民連携の下で大規模かつ総合的な交流事業が展開されるのが特徴である。たとえば、日韓国交流正常化40周年を記念した「日韓友情年2005」では、芸術、学術、スポーツ等の分野で700件を超える事業が実施された。日豪交流年、日中文化・スポーツ交流年、日印交流年、日本ブラジル交流年がこれに続いた。このように「クール・ジャパン」に乗じた日本イメージ向上戦略や周年事業など大型事業を通じた対日理解の促進は、知的交流や日本語教育、人物交流など従来からの文化交流事業の強化とともに、2000年代の文化外交の中核となった。  クール・ジャパンと総称される現代日本のポップカルチャーや和食、ファッションと歌舞伎・能など伝統的な日本文化との最大の相違は、前者が多様なモノやサービスなどの大量消費に直結することであろう。2010年代に入るころからは、外務省に加えて経済関係省庁・諸機関が連携してクール・ジャパン「戦略」が展開されることになる。クール・ジャパンの情報発信、海外での商品・サービスの展開、インバウンドの国内消費の各段階を効果的に展開し、世界の成長を散り組むことによって日本の経済成長を実現しようというブランド戦略である。日本の魅力を伝える情報発信は、経済低迷に苦しむ日本の成長戦略においても重要な意味をもつようになったものである。さらに東日本大震災の発生後は、風評被害対策として東北地方をはじめとする地方の魅力や日本産品の安全性についての対外発信が積極的に行われるようになった。


参考文献 佐藤史郎・川名晋史・上野友也・齊藤孝祐(2018)『日本外交の論点』法律文化社


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