日本刀
出典: Jinkawiki
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歴史
現在「日本刀」と聞いて一般的にイメージされるのは、反りのついた太刀だろう。その太刀が出現したのは平安時代中期以降からで、それ以前は反りのない直刀が使われていた。鍛錬の技術がそのころ大陸から伝播し、「鉄」に対する新技法が活発化する。
日本刀の姿形は、平安後期より鎌倉・南北朝・室町・桃山・江戸初期・中期・幕末へ移行するにつれて、大きく変化してきた。例えば、直刀は斬ることよりも突くことにその用法の特色があり、次の時代に出現した反りのある太刀は斬ることを主目的としているなど、使い方の違いがはっきり現れてくる。その最大の要因は、戦闘様式の変遷である。直刀期までの時代と違い、平安末期からは、反りのある太刀と弓箭が馬上戦の最大の武器として威力を発揮した。そして合戦のたびに改良工夫がなされ、更に実用的効果をあげるために研究・改善が行われてきた。 また、日本刀の製作は、平安後期から鎌倉時代にかけて、大和国・備前国・山城国・相模国・後発の美濃国の五ヶ国を中心として、各地に名工が輩出した。日本刀の世界では、明治以降これを「五ヶ伝」と呼ぶようになる。江戸時代の新刀期になると、これに飽き足らずに、自ら学んだ伝法に他の伝法を合わせて新しい技法を誕生させる者も各地に現れ、その技法は現代刀にも受け継がれている。
日本刀の素材
日本刀の素材は、日本古来の製鉄技術であるたたらによって生産され、その品質は他に比類ないほど優れたものである。このたたらによって生産された広義の鉄は、以下の3種類からなる「けら」という塊で、これを破砕・選鋼して、それぞれ含有炭素量によって以下のように分類する。
狭義の鉄(てつ) ・・・ 炭素量0.0~0.03%のもの。加熱せずともたたけば伸びるもの。
鋼(はがね) ・・・ 炭素量0.03~1.7%のもの。加熱して、たたけば伸びるもの。
銑(ずく) ・・・ 炭素量1.7%以上のもの。加熱しても何をしても伸びないもの。
この「鋼」に分類されるもののうち、特に破面が均質で良好なものを「玉鋼」といい、これはそのまま刀剣の素材になる。一方で、銑は炭素量が多いのでこれを取り除き(脱炭)、鉄は逆に炭素を吸収(吸炭)させ、鋼の炭素量に調節して使用する。
刀剣の種類
・直刀・・・直刀は湾頭(わんとう=まっすぐでなく、そりのついた刀)以前の刀で、古墳時代から奈良時代にかけて制作された。そりがほとんどなくまっすぐか、わずかに内反りで、平造り(平作)や両切刃造(もろきりはづくり)となっている。直刀と同様な作りの刃は現代まで制作されている。
・太刀・・・刃を下にして飾ってあるのが太刀で、平安時代後期から室町時代初期まで、腰に佩(は)いて(=吊して)用いたもの。反りが高く、刃長はふつう2尺3寸~6寸(70~80cm)くらいある。
・脇指(わきざし)1尺(30.3 cm)以上、2尺以下のもので、刀と同じく腰に指します。小脇指と呼ばれる1尺2、3寸(36 cm~40 cm)のものもあり、桃山・江戸時代には「大小」といって刀の指添(さしぞえ=予備として持つ)にし、揃えて一組にして用いられていた。
・薙刀(なぎなた)茎(なかご)を長く作り、薙ぎ払うために使われたものです。刀身の先端へと反りがつき、中には穂先にかけて両刃(もろは)となるものもある。また一般的に薙刀と長巻(ながまき)を区別して、薙刀造(なぎなたづくり)で横手(よこて)のないものを薙刀、あるものを長巻とする説があるが、今日では薙刀に統一している。※横手:鋒(きっさき)部分にある、鎬筋(しのぎすじ)と垂直に交わる筋のこと。
・槍柄(え)の先端に剣形の穂をはめ込んで使用されたもの。穂先の部分の形状と柄の長短や大小は、時代や使用方法によって異なる。 先端の形状は、剣形(両鎬(りょうしのぎ))、平三角(ひらさんかく)、笹穂、十文字、片鎌(かたかま)など各種あり、直槍(ちょくそう)系と十文字槍(じゅうもんじやり)系に大別される。
・短刀長さが1尺(30.3 cm)以内のもので、腰刀とも呼ばれ、また湾刀出現以前の短刀を「かたな」と呼んでいた。
・刀太刀に代わって室町時代中期(15世紀後半)から江戸時代末期(19世紀中頃)まで使用され、刃長は2尺(60.6 cm)以上あるが、太刀よりはやや短いものである。太刀とは逆に、刃を上にして腰に指し、新刀(慶長=1596~1614年以降のもの)にも、幕末の新々刀にも太刀のように作られたものもある。もとは太刀であっても磨り上げて短くなると刀と呼び、一般の刀と同様に刃を上にして腰に指す。
参考文献
・「日本刀は素敵」 著者 渡辺妙子
・サムライと日本刀 著者 杉山頴男 (BAY)