日本書紀1
出典: Jinkawiki
7世紀の40代、天武天皇の命により編纂が開始されたといわれている。『日本書紀』は、天皇家と朝廷のための公式の記録という位置づけで編纂されており、天地開闢から41代持統天皇の世までが収録されている。中国の正史である『本紀』をお手本に年代順に、当時の国際語ともいうべき漢文で記されており、国外(おもに中国)に向けて国家としての日本の存在感を示すことが目的だったと考えられる。
『日本書紀』によると、天武天皇が歴史書の編纂を命じたのは天武10年(681)のことであり、このとき天皇は川嶋皇子ら6人の王族と上毛ノ三千ら6人の官人に命じた。天武天皇は稗田阿礼がまとめた史書で朝廷の大まかな歴史を把握したうえで『日本書紀』の編纂を命じたものと思われる。そして『日本書紀』の最終的なとりまとめは、天武天皇の子である舎人親王が行い、実に40年にわたる大事業だった。 『日本書紀』の大まかな構成は第一、第二が神代の記述にあてられ、そのあとは天皇の代の出来事が記されているが、特筆すべきエピソードがあまりない場合は複数の天皇の代が一巻にまとめられていたり、天武天皇関連の記述のように二巻にまとめられて記されている。 『日本書紀』は、朝廷の役人たちが可能な限りの文献を集め、その内容を取捨選択して再構成することで作られ、古代史を研究する上で『日本書紀』の各エピソードがどの文献をもとに記述されたかを知ることは重要なポイントになり、従来の研究をもとにすると、『日本書紀』の資料は①王家に伝わる記録②諸豪族に伝わる記録③地方に伝わる記録④朝廷の公式記録⑤個人の手記や寺院関係の記録⑥外交の文献に分類することができる。6つのうち⑤、⑥の資料を基にした記述は比較的信頼度が高いとされているが、②の諸豪族につたわる記録を基にした記述は、それが作られた時期を把握することが難しいため、信頼度は低い。
参考文献:図解雑学 古事記と日本書紀 武光誠 著
日本史 図解で分かる時代の要点 須藤公博 著
日本書紀を読む http://www.johokan.net/history/Rekishi/earlyjapan/shoki.html