日清戦争2
出典: Jinkawiki
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日清戦争の原因
・1894年、朝鮮の農民達があまりに苦しい生活に耐えられなくなり、反乱を起こし、甲午農民戦争(東学の人達がいたので東学党の乱とも言われる)を起こした。 それを機に出兵した日本と清国の兵士がぶつかり戦争になったものである。 前々から日本と清国は朝鮮での権力争いをしており、いつ戦いになってもおかしくない状況であった。 「本源に遡れば、日本と清国の朝鮮での権力競争」と陸奥宗光は蹇蹇録で述べている。 日本陸軍(山形有朋)などは朝鮮のことをよくおもっておらず、戦争にたいして強気な姿勢をとっていた。 日本国民も清国にたいして敵意をもっており、戦争のときは徳富蘇峰らが執筆した国民新聞などにも取り上げられ、大いに国が盛り上がった。
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戦争内容
・日清戦争はよく知られているように日本の近代化した兵器、兵隊の前に依然として文明化を受け入れなかった清国が押される展開となった。 日本は陸軍(治安警備軍)のように軍を強化しており、清国が最初から最後まで押され、最後は敗戦する結果となった
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講和期
・1895年、清国の李鴻章が日本の下関にきて講和を結んだ。 これは圧倒的に日本に有利な講和であった。 講和を結んだ日本の責任者は伊藤博文と陸奥宗光であった。 下関条約の内容は、日本を最恵国待遇すること、日本に遼東半島を与えることなどであった。
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三国干渉
日清講和条約が調印されたことを知るとロシア、フランス、ドイツの3国が手を組み、日本に遼東半島を返還するように言った。 この欧米3国の脅迫めいたことにたいし日本は恐れてしまい、清に遼東半島を返すことになった。 この事件のあと、日本は「臥薪嘗胆」というスローガンをかかげ、日露戦争にむかっていくことになる。
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