朝鮮戦争7
出典: Jinkawiki
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概要
朝鮮戦争とは、1950年に朝鮮半島で起きた韓国と北朝鮮を当事国とする戦争である。第二次世界大戦、日本の敗戦後、北緯38度線によって南北に分断されていた朝鮮半島で1950年6月25日、北朝鮮軍が38度線を突破し南下を始めた。以後、1953年7月27日の休戦協定まで続いた戦争である。休戦協定によって38度線と斜めに交わる軍事境界線(休戦ライン)が設定された。これが今日の南北の事実上の国境線となり、南北の分断を固定した。この戦争を北朝鮮では「祖国解放戦争」と呼び、韓国では「韓国動乱」と呼ばれる。
経過
1945年8月15日、日本は敗戦後ポツダム宣言を受託し、連合国に無条件降伏した。それゆえ朝鮮半島の統治権を放棄することになった。日本の植民地であった朝鮮は解放され朝鮮民族による新しい国家の建設が開始された。しかし、共に第二次世界大戦の勝者となったアメリカとソ連の対立はそれを許さなかった。戦争中、朝鮮民族は抗日運動を繰り広げており、それは規模の大小を問わず根深く続いていた。これらの運動をする組織はそれぞれ独立的にいくつも存在していた。例えば建国準備委員会、人民委員会、抗日朝鮮義勇軍、大韓民国臨時政府などがこれに当たる。いずれも大日本帝国からの支配を脱却・独立を目指していたが、方法やイデオロギーは大きく異なっていた。それを大別すれば、自由主義国の支援を期待する側と、社会主義国側に頼ろうとする者になる。同年8月8日、満州に侵入したソ連極東軍は日本陸軍を追い払いながら南下を続けた。その勢いはとどまることを知らず、2週間で満州を完全に制圧し、その後朝鮮に入る。9月には同半島の全部を支配するまでに至っていた。これを知ったアメリカは、9月8日慌てて朝鮮の釜山へ部隊を上陸させた。しかし、ソ連軍は38度線で停止した。このようにして半島分断の基礎が生まれてしまったのである。間もなく、朝鮮半島の南には日本の総督府から主権を引き継いだ形の組織が誕生した。もちろん北部には共産(社会)主義国家の建設が行われた。こうして、その後この土地に生まれる2つの国家の性格的な裏付けが決定されたのである。アメリカは右派民族主義者李承晩(イ・スンマン)を推し、ソ連は朝鮮人民委員会を率いる金日成(キム・イルソン)を支援した。そして結果的に朝鮮半島を南北に分断する形で、2つの国家が誕生するのである。まず1948年8月15日、大韓民国が生まれ、続いて同年9月9日、朝鮮民主主義人民共和国が誕生した。そして、朝鮮戦争は1950年6月25日午前3時50分、北朝鮮軍の全面侵攻により開始された。宣戦布告はついになく、攻撃は完全な奇襲となった。1953年の休戦に至るまでに3年と1か月と2日、つまり約1000日に当たる。戦争勃発から約1年後の1951年7月10日、第1回の休戦会議が始まった。しかし、この会談は幾度となく中断され一応の成立までに丸2年を要した。この間、戦いは休むことなく続いていた。
休戦条約の締結
1953年7月27日午前10時、38度線上に位置する板門店の会議場で、休戦の調印式が行われた。国連側はハリソン中将、共産側は南日中将を代表とし調印が済まされた。158回にわたって交渉は続けられてきたが、最終的な休戦のための合意事項は4条のみであった。その内容としては、軍事境界線の決定と非武装地帯の設定、戦闘停止と休戦の具体的措置の取り決め、捕虜の扱いと交換についての措置、それぞれの政府に対する提案である。この条約は、戦争状態を解消しようとしているものではなく、単に戦闘の中止だけを意図している。つまり、またいつ戦争が開始されてもおかしくないのだ。
参考文献
『わかりやすい朝鮮戦争』 三野正洋著 光人社
『朝鮮戦争全史』 和田春樹著 岩波書店
ハンドル名:京都